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ー/ー





 電車に揺られながら、窓の外の景色が次々と変わっていくのを今日もぼーっと眺めていた。
 
 この速さだと、飛び込んだ人がぐちゃぐちゃになるもの当然だ。未だかつて人身事故に遭遇したことはないけれど、毎日のように人身事故はどこかで起きている。そう思う度、私の最期はどういう感じになるんだろう? と。最期は本当に走馬灯が見えるのだろうか? と疑問に思ってしまう。

 電車に乗って、意味もなく一瞬で流れていく景色を見ては毎回のように同じことを考えてしまう私は、死にたがりではない。もう、ただの異常者。

 そんな私のことをよく知りもしないくせに敬う人たちが大勢いる。


「あ、ましろちゃんだ……」
 
「お前、挨拶してこいよ。ちーっすって」

「そんなの無理に決まってんだろ! 嫌われるって」

「大丈夫だよ。あっちはお前の名前すら知らねえから」


 後ろの方からボソボソと私のことを話す声が今日も聞こえてくる。

 今日も始まってしまった。
 私が望み、そして望まれた私を演じるのが。

 
 名前が聞こえたら、私は微笑んで声が聞こえた方に振り向かなければいけない。

 幼い頃から笑みを浮かべることはダメなことだと教え込まれていた私には、微笑むことが未だに難しいところがある。けれど作り上げてしまった偽りの自分を演じるためにも、私は髪を耳にかけながら微笑んで後ろを振り向いてあげた。

 私の価値は顔だけ。
 顔だけが私の武器で、好かれるところ。

 それを私はきちんと理解しているつもり。


「おはようございます」

「お、おはよう……!」

「あ、うっす……」


 数秒前まで自分は興味ないみたいな態度をしていた奴すら、緊張気味に挨拶を返す。彼と同じような奴らは沢山いて、そして彼のように結局は震え声で挨拶を返すその事実が可愛いなぁって思う。

 その反面、結局お前も顔なんだって軽蔑をする。


 ただ微笑みながら振り向いて、挨拶をするだけ。それだけだというのに、嬉しそうにする人たちが電車を降りれば増えていく。

 芸能人でもないただの一般人に、どうして敬うことが出来るのか不思議で仕方がない。私は若菜ちゃんと違って顔だけで、決して口には出せないことを常日頃から思っているような人間だというのに。


「いつ見てもましろちゃんは綺麗だよな」

「高嶺の花なんだから当たり前だろ」


 ──高嶺の花
  これが学校で呼ばれているあだ名。

 だから私は、家を出た瞬間から両親や妹と同じように感情を表に出してはいけなかった。
 
 元々容姿だけは褒められることが多かったから更に身だしなみを整え、私を見た時に不快感を与えることはないように努力をし続けてきた。そうすれば、高嶺の花という名前をもらうのは意外と簡単だった記憶がある。
 

 これで私も若菜ちゃんと同じようにみんなから人間扱いを、誰かが私を必要としてくれるんだって思っていたのに、私はもっと無価値な人間になっていた。

 私が誰かの中心にいたいがために始めた事だけど、すぐに劣等感を抱いてしまうような人間が彼女のようになれないことなど分かり切っていた。それを自覚する度、また一つ心が軋む音が聞こえて、負の感情に流されそうになる。

 
 ただ真似をすればいいだけなのに。
 簡単なことなのに、それが私には出来ない。

 そのもどかしさに、自嘲の笑みがこぼれる。


 彼女は自分の意見をきちんと言いながらも、自分の意見を無理に押し付けてはこない。何でも受け入れてしまうような人でもない。きちんと嫌なものは嫌だと言える勇気も持ち合わせていた。それでも嫌われないのは、彼女の人柄。

 そんな彼女とはあまりにも正反対だったが、今更築き上げてきた自分を変えることは出来ない。

 本来の自分を少しでも出したら、勝手に幻滅して離れていくに違いない。私を見る目がきっと変わってしまう。そう思うと頭に浮かんだ言いたいことをグッと飲み込むことの繰り返して生きづらさを毎日のように感じるけど、変に価値のある人間になるくらいなら、今の無価値な人間でいる方が楽ではあった。

 なにより、家にいる時よりもよっぽど息がしやすい。


 あとは〝彼〟の存在がなければ完璧なんだけど。


 彼の存在を思い出しては眉間にしわが寄る。そんな眉間を隠すように指で触れれば、目的地の駅に到着していた。
 電車を降りて、改札を出て、出口へと向かう足をほんの少し速める。

 挨拶をしてくる人がいれば挨拶を返すし、目が合えば少し首を傾げて微笑む。それを教室の自分の席に座り、友人たちが来るまでそれを続けないといけない。

 微笑んでいる私をみんなが望んでいる。それを自分で作り上げたとはいえ、それが私の使命だから必死になってそれを続けてるけど、ずっと気を張っているわけだから当然疲れが出てくる。ようやく教室に着いて自分の席に座った瞬間に、口からふぅ……と無意識に短い息が漏れていた。

 授業で使う物と小説を机の中にしまい、貴重品が入った鞄をロッカーにしまいに行く。

 再び席に戻ってきたけど、まだ友人たちの姿は見えない。ポケットから出したスマートフォンで時間を確認する。いつもだったらあと5分後には教室に入ってくる。その前に私はGoogleを開いて、若菜ちゃんの遺書に書かれていた〝白い服 契約〟と入力して検索をかけてみた。


「あなたは選ばれし者です……?」


 一番上に出てきたサイトの見出しに〝あなたは選ばれし者です〟という文字が目に留まり、何故かひゅっと息を呑んだ。

 それだけではない。普通なら100万件とか、1000万件の中から検索がヒットするが、今回は1件しかヒットしなかった。

 明らかにおかしいし、見てはいけない。恐怖の中ちゃんとした判断が出来ていながらも、興味本位で恐る恐るだがそのサイトをタップしてしまった。

 
 真っ白な背景に、パソコンの初期からあるフォントで大きく〝あなたは選ばれし者です〟と表示されているだけだった。
 

 下にスクロールが出来るのかと思えば出来なくて、初めてホームページを作ることが出来た人が消すのを忘れたみたいなサイトに、先程まで恐怖を覚えていたことが馬鹿馬鹿しく思えた。

 画面を左端から中央に向かってスワイプをし、変わらないと分かっていながらも、もう一度検索をかけてみるが、やっぱりこのサイトしかヒットしない。不気味だなと思いながらも、私は一応そのサイトをお気に入り登録をしておいた。お気に入りに登録する必要なんてどこにもないけど、何となく一応。

 若菜ちゃんの遺書といい、このサイトといい、なんだか胸騒ぎがする。この胸騒ぎが当たらないことを願いながらスマートフォンを強く握りしめた時、手元に影が落ちる。


「なーに見てるの?」


 頭上から声が聞こえて顔を上げると、友人の凪沙と絵麻と目が合う。私はニコッと笑みを浮かべながら、慌てることなく平静を装いながら電源ボタンを押して画面の明かりを消した。


「おはよう」

「おはよう。それで、何見てたの?」

「タイガーブレッドを作りたいなぁって思って見てたの」

「なにそれー?」

「パンだよ」

「美味しいんだよ。でも、キッチン使っちゃダメって言われるだろうから……」


 分かりやすく目を伏せれば、凪沙が目の前の席に座って私の頭を撫でだした。


「今日も可愛いね」

「慰めてくれるのかと思った」

「慰めてるつもりだけど」

「あはは。慰めてくれてありがとう」


 きっと傍から見れば、ただの褒め言葉にしかきこえないだろう。
 でも私は、今日も素直にそれを嬉しいとは思えなかった。


「ましろ見て! 今日もましろを一目見ようと廊下にみんな集まってるよ」


 私たちの会話に入りたかったのか、絵麻は後ろから私に抱きついてきて廊下を指差した。

 絵麻は言ってしまえば、妹みたいな性格をしている。自分の感情のまま話す子。でも妹とは違う。妹と大きく違うところと言えば、そこに高確率で悪意が含まれているところだろう。

 今回はそういう悪意的なものを感じることはなかったが、反応してしまうと私は廊下に視線を向けなくちゃいけなくて。面倒なんだから余計なことをするな、という気持ちたちはグッと堪えなくてはいけない。ぎこちなく見えないような笑みを浮かべながら廊下に視線を向ければ、私の顔だけを見に来る人たちがちらほらいた。中には茶化すような人たちもいるけれど、電車で会ったあの彼にしたように嫌な顔をせず微笑んでやれば気まずさが生まれるのだろう。苦笑いをしながら足早に自分の教室へと戻って行った。それを毎日、一日に何十回と起これば当然腹が立つけど、それらは私からしたら可愛いもんだった。

 私を道具としか思っていない友人らと、自分より明らかに下だと見下されているあいつに比べたら。

 友人と呼んでいるが、そう呼んでいるたり思っているのはきっと私だけ。
 二人にとって友人なんて形だけで、私の存在は上に立つための道具にしかすぎない。

 きちんと頭では理解をしていても、容姿だけで存在価値を決められているこの感じが昔から苦手だった。でも〝それでしか〟私はこの世界では生きていけないから、この問題だけは死ぬまでずっと我慢しないといけない。地獄だけど。


「あ、キーホルダー汚れてる」


 スカートのポケットからハンカチを取り出して、絵麻の鞄についているキーホルダーを拭いた。


「ましろのハンカチが汚れちゃうよ?」

「気にしないで」

「ましろって本当優しいよね。大好き!」

「ありがとう」


 本当は汚れていなかった。
 嫌な思考から逃げたくて、咄嗟に嘘をついてその行動に出た。

 Emaとアルファベットシールが貼られているハートのキーホルダーは、私と凪沙とお揃いの物。クリスマスプレゼントとして凪沙が去年くれた物で、オーダーメイドで作ってもらったと言っていたからきっと高かっただろう。

 このキーホルダー自体は可愛い。これを貰えたことも素直に嬉しかった。けれど、このキーホルダーは私にとって呪いでしかない。


「ましろ、そんなことしなくていいんだよ」

「ダメだよ。凪沙が私たちにプレゼントしてくれた大切な物なんだから」

「ティッシュで拭けばいいんだよ。わざわざハンカチなんか使わなくても」

「ましろの優しさを否定しないでよ! 本当、凪沙ってそういう優しさがないよね」

「毎日登校時間を合わせてあげてる私には、優しさがないって?」

「嘘嘘! 嘘に決まってんじゃん! 凪沙が世界で一番優しいよ」


 友人たちの会話を聞きながら、口角が徐々に元に戻っていくのが分かる。
 いつも楽しそうで羨ましい。笑って、怒って、また笑って。もうすぐテストだってあるというのに、テスト勉強もせずに遊び歩いていて。今日もどうせ親からお小遣いの催促をしたであろう友人たちに劣等感を抱いていた。

 私はこんな性格だから、毎日のように劣等感を抱いている。
 この二人には勿論、私を敬う人たちにも、先生にも、街で見る知らない人にも、妹にも常に劣等感を抱きながら生きている。

 自分の立場というものは理解しているんだし、何もかも諦めてしまえば楽になるというのにそれが出来ない。
 出来ない理由も、私はちゃんと理解している。


 私が今、妹よりも劣等感を抱いている人物のせいだということを。


「そろそろ鞄置いてきたら? ショートホームルーム始まっちゃうよ?」


 私の言葉に被せるようにガラッと教室のドアが開き、一気に騒がしくなる教室。
 そして一瞬にして胸が重くなる。


「あ、もう一人の人気者の登場だー」


 そんなこと言われなくても、ドアの方を見なくても教室が一瞬にして騒がしくなる理由なんて嫌でも分かる。

 ただ歩いているだけで注目され、彼の話題になるとみんなして耳を傾ける。クラスの、そして学校の中心的存在の一人である天王寺(てんのうじ)玲青(れお)が入って来た、と。

 セーブしていた負の感情が今にも爆発しそうになるくらい、一瞬にして負の感情が私を支配した。そのくらい、私の中で彼という存在は厄介だった。

 本来の私はすぐに顔に出タイプだけど、それをグッと堪えてずっと口角を上げている。
 上げているつもりできっと傍からは、ううん……彼からしたらほんの少ししか上がっていないんだろうな。


「玲青おはよう」

「おはよう」


 友人たちが気さくに彼へ挨拶をする。彼は立ち止まることなく「おはよう」と友人たちに挨拶を返した。今日こそなにもなく終わってほしい。そう思いながら友人たちの彼へと向いていた視線が再びこちらに戻って来た瞬間、小さくだったがふっと鼻で笑うのが聞こえた。

 ピクリと眉が動き、すぐさま彼へと視線を向ければ、彼は私と目が合うなり薄ら笑いを浮かべてきた。その笑みを見た瞬間、抑えきれないほどの怒りが生まれ、口角が元に戻って目に力が入る。

 軽く唇を結んで目を逸らそうとすれば、必ずあっちから目を逸らす。それがまた、私の怒りが増幅する一つでもある。

 怒りで早くなった鼓動を正常に戻したくて小説を読もうと机の上に置いていた手を机の中に居れるが、そこでやっと自分の手が怒りで震えていることに気付いた。目を閉じて息を吸い込んでから、小説の上で爪痕がつくほど強く掌を握りしめた。
 

 毎日毎日ふざけやがって……お互い良い思いはしないんだから、こっちを見なかったらいいのに。もしかして、今日も自分より下がいるっていう実感がほしくて、飽きずに私を見ては薄ら笑いをしているのだろうか。だとしたら、相当性格が悪い。

 彼がどんな人間なのか分かりながらも、彼の行動を見ていちいち腹を立てている私も彼と同類か。

 反応しなかったらいいのに、見なかったらいい話なのに、どうしても彼の方を見てしまう。
 心を削って怒りを覚えるより、気づかないふりをした方が何事も楽なのに。それすらできないから、私は見下されるんだ。


「あー! 玲青やっときたー!」


 天王寺玲青のことを好きな女子の声が教室の後ろから聞こえて、私の怒りは更に増幅していく。


「おはよう」

「ねえねえ、飲み物買いに行こう?」

「いいよ。田中君も一緒に行こう」

「え、ぼ……僕?」

「うん。過去問のお礼したいし」

「えー、陰キャも行くの?」

「ダメなの?」

「おい、千香。玲青を困らすなよ」


 誰にでも平等を売りにしている彼は当然、人を引き寄せる。そんな彼はみんなに向ける顔と、私に向ける顔があまりにも違いすぎる。みんなには嫌われる要素のない自分の顔の良さを最大限に生かす表情で接するくせに、私にはいつも済ましたような顔をしてくる。目が合えば薄ら笑いをされるし、その後は感じ悪く逸らされる。

 きっと、この世で唯一〝私だけ〟が彼に見下されている。

 そんな彼が、私は()()()()で仕方がない。


 本物の人気者の噂は、一年の頃から耳にはしていた。
 話しを聞くだけで劣等感を抱いていた。このまま3年間同じクラスになりませんようにと願っていたのに、今年になって同じクラスになってしまった。けれど彼とは、今まで一度も話したことがない。

 彼のことを好きな女子から嫌な視線を向けられたことは一度もない。仲が悪いという噂が勝手に流れ始めたのが春。そして夏になれば、癪に障る〝白石さんって、玲青くんに嫌われてるらしいよ〟なんていう噂が流れ始めた。

 嫌われてはいるけれど、そこに私も嫌いらしいよっていう噂も流れてほしかった。
 いつも、私だけが下みたいなレッテルばかり貼られる。それが死ぬほど悔しい。


 彼と仲良くしておいて損はないと思う。家はお金持ちらしいし、何人か連れていつもご飯などを奢っているのをよく見る。勉強も運動も出来るし、先生たちからの人望も厚い。みんなから異常なほど好かれている先輩たちとも仲が良いし、仲良くしておいて損するところなんてどこにもない。

 でも私は、そんな彼と仲良くなんかしたくない。

 見下されているのも嫌いな理由の一つだけど、彼だって私〝同じ〟なはずなのに、私とは違ってみんなが彼を人として扱っている。私が必死になって頑張っているものがあるとする。それを彼は、いとも簡単にやってのけてしまう。私が欲しい物を、全て持っている。

 私と同じように微笑んでおけばちやほやされるというのに、なんで私は──彼とは違うのだろう?


 自分と違いすぎる彼に劣等感を抱かないってほうが不思議で仕方がない。
 世の中には何でも受け止めて、諦めて、劣等感を抱かない人が当然いる。そんな人たちを、私は心から尊敬する。

 絆創膏が巻かれている親指を抉ろうと人差し指の爪で抉るが、抉れている感覚がなくてもどかしい。いっそ、絆創膏をとって朝以上に抉ったら冷静を取り戻して、心が軽くなるのではないだろうか。異常な思考になった私は、空いている左手で絆創膏を取ろうと端を少しだけ向いた時、チャイムが学校中に響き渡った。同時に先生が教室に入ってくる。廊下や席についていない生徒を怒りながら。


「じゃあましろ、また10分休みに来るね」

「うん」


 咄嗟に机の中から手を出して、二人に手を振った。

 やっと息がしやすくはなったが、今日も長い地獄の時間が始まる。
 放課後、一人でいられる空間になるまで、私はただ微笑んでいるだけの高嶺の花というやつを演じる天王寺玲青とは違う、中身が空っぽな高嶺の花を。
 

 注目されたくて、こんな立ち位置になったわけではない。
 私はただ、みんなと同じ人間の扱いをされたかっただけ。

 あなたとか、お前じゃなくて、名前を呼ばれたかった。声をかけてほしかった。私の目を見て話してほしかった。会話をしたかった。

 ──私という存在を、誰かの心に残したかった。

 ただ、それだけの理由。



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 電車に揺られながら、窓の外の景色が次々と変わっていくのを今日もぼーっと眺めていた。
 この速さだと、飛び込んだ人がぐちゃぐちゃになるもの当然だ。未だかつて人身事故に遭遇したことはないけれど、毎日のように人身事故はどこかで起きている。そう思う度、私の最期はどういう感じになるんだろう? と。最期は本当に走馬灯が見えるのだろうか? と疑問に思ってしまう。
 電車に乗って、意味もなく一瞬で流れていく景色を見ては毎回のように同じことを考えてしまう私は、死にたがりではない。もう、ただの異常者。
 そんな私のことをよく知りもしないくせに敬う人たちが大勢いる。
「あ、ましろちゃんだ……」
「お前、挨拶してこいよ。ちーっすって」
「そんなの無理に決まってんだろ! 嫌われるって」
「大丈夫だよ。あっちはお前の名前すら知らねえから」
 後ろの方からボソボソと私のことを話す声が今日も聞こえてくる。
 今日も始まってしまった。
 私が望み、そして望まれた私を演じるのが。
 名前が聞こえたら、私は微笑んで声が聞こえた方に振り向かなければいけない。
 幼い頃から笑みを浮かべることはダメなことだと教え込まれていた私には、微笑むことが未だに難しいところがある。けれど作り上げてしまった偽りの自分を演じるためにも、私は髪を耳にかけながら微笑んで後ろを振り向いてあげた。
 私の価値は顔だけ。
 顔だけが私の武器で、好かれるところ。
 それを私はきちんと理解しているつもり。
「おはようございます」
「お、おはよう……!」
「あ、うっす……」
 数秒前まで自分は興味ないみたいな態度をしていた奴すら、緊張気味に挨拶を返す。彼と同じような奴らは沢山いて、そして彼のように結局は震え声で挨拶を返すその事実が可愛いなぁって思う。
 その反面、結局お前も顔なんだって軽蔑をする。
 ただ微笑みながら振り向いて、挨拶をするだけ。それだけだというのに、嬉しそうにする人たちが電車を降りれば増えていく。
 芸能人でもないただの一般人に、どうして敬うことが出来るのか不思議で仕方がない。私は若菜ちゃんと違って顔だけで、決して口には出せないことを常日頃から思っているような人間だというのに。
「いつ見てもましろちゃんは綺麗だよな」
「高嶺の花なんだから当たり前だろ」
 ──高嶺の花
  これが学校で呼ばれているあだ名。
 だから私は、家を出た瞬間から両親や妹と同じように感情を表に出してはいけなかった。
 元々容姿だけは褒められることが多かったから更に身だしなみを整え、私を見た時に不快感を与えることはないように努力をし続けてきた。そうすれば、高嶺の花という名前をもらうのは意外と簡単だった記憶がある。
 これで私も若菜ちゃんと同じようにみんなから人間扱いを、誰かが私を必要としてくれるんだって思っていたのに、私はもっと無価値な人間になっていた。
 私が誰かの中心にいたいがために始めた事だけど、すぐに劣等感を抱いてしまうような人間が彼女のようになれないことなど分かり切っていた。それを自覚する度、また一つ心が軋む音が聞こえて、負の感情に流されそうになる。
 ただ真似をすればいいだけなのに。
 簡単なことなのに、それが私には出来ない。
 そのもどかしさに、自嘲の笑みがこぼれる。
 彼女は自分の意見をきちんと言いながらも、自分の意見を無理に押し付けてはこない。何でも受け入れてしまうような人でもない。きちんと嫌なものは嫌だと言える勇気も持ち合わせていた。それでも嫌われないのは、彼女の人柄。
 そんな彼女とはあまりにも正反対だったが、今更築き上げてきた自分を変えることは出来ない。
 本来の自分を少しでも出したら、勝手に幻滅して離れていくに違いない。私を見る目がきっと変わってしまう。そう思うと頭に浮かんだ言いたいことをグッと飲み込むことの繰り返して生きづらさを毎日のように感じるけど、変に価値のある人間になるくらいなら、今の無価値な人間でいる方が楽ではあった。
 なにより、家にいる時よりもよっぽど息がしやすい。
 あとは〝彼〟の存在がなければ完璧なんだけど。
 彼の存在を思い出しては眉間にしわが寄る。そんな眉間を隠すように指で触れれば、目的地の駅に到着していた。
 電車を降りて、改札を出て、出口へと向かう足をほんの少し速める。
 挨拶をしてくる人がいれば挨拶を返すし、目が合えば少し首を傾げて微笑む。それを教室の自分の席に座り、友人たちが来るまでそれを続けないといけない。
 微笑んでいる私をみんなが望んでいる。それを自分で作り上げたとはいえ、それが私の使命だから必死になってそれを続けてるけど、ずっと気を張っているわけだから当然疲れが出てくる。ようやく教室に着いて自分の席に座った瞬間に、口からふぅ……と無意識に短い息が漏れていた。
 授業で使う物と小説を机の中にしまい、貴重品が入った鞄をロッカーにしまいに行く。
 再び席に戻ってきたけど、まだ友人たちの姿は見えない。ポケットから出したスマートフォンで時間を確認する。いつもだったらあと5分後には教室に入ってくる。その前に私はGoogleを開いて、若菜ちゃんの遺書に書かれていた〝白い服 契約〟と入力して検索をかけてみた。
「あなたは選ばれし者です……?」
 一番上に出てきたサイトの見出しに〝あなたは選ばれし者です〟という文字が目に留まり、何故かひゅっと息を呑んだ。
 それだけではない。普通なら100万件とか、1000万件の中から検索がヒットするが、今回は1件しかヒットしなかった。
 明らかにおかしいし、見てはいけない。恐怖の中ちゃんとした判断が出来ていながらも、興味本位で恐る恐るだがそのサイトをタップしてしまった。
 真っ白な背景に、パソコンの初期からあるフォントで大きく〝あなたは選ばれし者です〟と表示されているだけだった。
 下にスクロールが出来るのかと思えば出来なくて、初めてホームページを作ることが出来た人が消すのを忘れたみたいなサイトに、先程まで恐怖を覚えていたことが馬鹿馬鹿しく思えた。
 画面を左端から中央に向かってスワイプをし、変わらないと分かっていながらも、もう一度検索をかけてみるが、やっぱりこのサイトしかヒットしない。不気味だなと思いながらも、私は一応そのサイトをお気に入り登録をしておいた。お気に入りに登録する必要なんてどこにもないけど、何となく一応。
 若菜ちゃんの遺書といい、このサイトといい、なんだか胸騒ぎがする。この胸騒ぎが当たらないことを願いながらスマートフォンを強く握りしめた時、手元に影が落ちる。
「なーに見てるの?」
 頭上から声が聞こえて顔を上げると、友人の凪沙と絵麻と目が合う。私はニコッと笑みを浮かべながら、慌てることなく平静を装いながら電源ボタンを押して画面の明かりを消した。
「おはよう」
「おはよう。それで、何見てたの?」
「タイガーブレッドを作りたいなぁって思って見てたの」
「なにそれー?」
「パンだよ」
「美味しいんだよ。でも、キッチン使っちゃダメって言われるだろうから……」
 分かりやすく目を伏せれば、凪沙が目の前の席に座って私の頭を撫でだした。
「今日も可愛いね」
「慰めてくれるのかと思った」
「慰めてるつもりだけど」
「あはは。慰めてくれてありがとう」
 きっと傍から見れば、ただの褒め言葉にしかきこえないだろう。
 でも私は、今日も素直にそれを嬉しいとは思えなかった。
「ましろ見て! 今日もましろを一目見ようと廊下にみんな集まってるよ」
 私たちの会話に入りたかったのか、絵麻は後ろから私に抱きついてきて廊下を指差した。
 絵麻は言ってしまえば、妹みたいな性格をしている。自分の感情のまま話す子。でも妹とは違う。妹と大きく違うところと言えば、そこに高確率で悪意が含まれているところだろう。
 今回はそういう悪意的なものを感じることはなかったが、反応してしまうと私は廊下に視線を向けなくちゃいけなくて。面倒なんだから余計なことをするな、という気持ちたちはグッと堪えなくてはいけない。ぎこちなく見えないような笑みを浮かべながら廊下に視線を向ければ、私の顔だけを見に来る人たちがちらほらいた。中には茶化すような人たちもいるけれど、電車で会ったあの彼にしたように嫌な顔をせず微笑んでやれば気まずさが生まれるのだろう。苦笑いをしながら足早に自分の教室へと戻って行った。それを毎日、一日に何十回と起これば当然腹が立つけど、それらは私からしたら可愛いもんだった。
 私を道具としか思っていない友人らと、自分より明らかに下だと見下されているあいつに比べたら。
 友人と呼んでいるが、そう呼んでいるたり思っているのはきっと私だけ。
 二人にとって友人なんて形だけで、私の存在は上に立つための道具にしかすぎない。
 きちんと頭では理解をしていても、容姿だけで存在価値を決められているこの感じが昔から苦手だった。でも〝それでしか〟私はこの世界では生きていけないから、この問題だけは死ぬまでずっと我慢しないといけない。地獄だけど。
「あ、キーホルダー汚れてる」
 スカートのポケットからハンカチを取り出して、絵麻の鞄についているキーホルダーを拭いた。
「ましろのハンカチが汚れちゃうよ?」
「気にしないで」
「ましろって本当優しいよね。大好き!」
「ありがとう」
 本当は汚れていなかった。
 嫌な思考から逃げたくて、咄嗟に嘘をついてその行動に出た。
 Emaとアルファベットシールが貼られているハートのキーホルダーは、私と凪沙とお揃いの物。クリスマスプレゼントとして凪沙が去年くれた物で、オーダーメイドで作ってもらったと言っていたからきっと高かっただろう。
 このキーホルダー自体は可愛い。これを貰えたことも素直に嬉しかった。けれど、このキーホルダーは私にとって呪いでしかない。
「ましろ、そんなことしなくていいんだよ」
「ダメだよ。凪沙が私たちにプレゼントしてくれた大切な物なんだから」
「ティッシュで拭けばいいんだよ。わざわざハンカチなんか使わなくても」
「ましろの優しさを否定しないでよ! 本当、凪沙ってそういう優しさがないよね」
「毎日登校時間を合わせてあげてる私には、優しさがないって?」
「嘘嘘! 嘘に決まってんじゃん! 凪沙が世界で一番優しいよ」
 友人たちの会話を聞きながら、口角が徐々に元に戻っていくのが分かる。
 いつも楽しそうで羨ましい。笑って、怒って、また笑って。もうすぐテストだってあるというのに、テスト勉強もせずに遊び歩いていて。今日もどうせ親からお小遣いの催促をしたであろう友人たちに劣等感を抱いていた。
 私はこんな性格だから、毎日のように劣等感を抱いている。
 この二人には勿論、私を敬う人たちにも、先生にも、街で見る知らない人にも、妹にも常に劣等感を抱きながら生きている。
 自分の立場というものは理解しているんだし、何もかも諦めてしまえば楽になるというのにそれが出来ない。
 出来ない理由も、私はちゃんと理解している。
 私が今、妹よりも劣等感を抱いている人物のせいだということを。
「そろそろ鞄置いてきたら? ショートホームルーム始まっちゃうよ?」
 私の言葉に被せるようにガラッと教室のドアが開き、一気に騒がしくなる教室。
 そして一瞬にして胸が重くなる。
「あ、もう一人の人気者の登場だー」
 そんなこと言われなくても、ドアの方を見なくても教室が一瞬にして騒がしくなる理由なんて嫌でも分かる。
 ただ歩いているだけで注目され、彼の話題になるとみんなして耳を傾ける。クラスの、そして学校の中心的存在の一人である|天王寺《てんのうじ》|玲青《れお》が入って来た、と。
 セーブしていた負の感情が今にも爆発しそうになるくらい、一瞬にして負の感情が私を支配した。そのくらい、私の中で彼という存在は厄介だった。
 本来の私はすぐに顔に出タイプだけど、それをグッと堪えてずっと口角を上げている。
 上げているつもりできっと傍からは、ううん……彼からしたらほんの少ししか上がっていないんだろうな。
「玲青おはよう」
「おはよう」
 友人たちが気さくに彼へ挨拶をする。彼は立ち止まることなく「おはよう」と友人たちに挨拶を返した。今日こそなにもなく終わってほしい。そう思いながら友人たちの彼へと向いていた視線が再びこちらに戻って来た瞬間、小さくだったがふっと鼻で笑うのが聞こえた。
 ピクリと眉が動き、すぐさま彼へと視線を向ければ、彼は私と目が合うなり薄ら笑いを浮かべてきた。その笑みを見た瞬間、抑えきれないほどの怒りが生まれ、口角が元に戻って目に力が入る。
 軽く唇を結んで目を逸らそうとすれば、必ずあっちから目を逸らす。それがまた、私の怒りが増幅する一つでもある。
 怒りで早くなった鼓動を正常に戻したくて小説を読もうと机の上に置いていた手を机の中に居れるが、そこでやっと自分の手が怒りで震えていることに気付いた。目を閉じて息を吸い込んでから、小説の上で爪痕がつくほど強く掌を握りしめた。
 毎日毎日ふざけやがって……お互い良い思いはしないんだから、こっちを見なかったらいいのに。もしかして、今日も自分より下がいるっていう実感がほしくて、飽きずに私を見ては薄ら笑いをしているのだろうか。だとしたら、相当性格が悪い。
 彼がどんな人間なのか分かりながらも、彼の行動を見ていちいち腹を立てている私も彼と同類か。
 反応しなかったらいいのに、見なかったらいい話なのに、どうしても彼の方を見てしまう。
 心を削って怒りを覚えるより、気づかないふりをした方が何事も楽なのに。それすらできないから、私は見下されるんだ。
「あー! 玲青やっときたー!」
 天王寺玲青のことを好きな女子の声が教室の後ろから聞こえて、私の怒りは更に増幅していく。
「おはよう」
「ねえねえ、飲み物買いに行こう?」
「いいよ。田中君も一緒に行こう」
「え、ぼ……僕?」
「うん。過去問のお礼したいし」
「えー、陰キャも行くの?」
「ダメなの?」
「おい、千香。玲青を困らすなよ」
 誰にでも平等を売りにしている彼は当然、人を引き寄せる。そんな彼はみんなに向ける顔と、私に向ける顔があまりにも違いすぎる。みんなには嫌われる要素のない自分の顔の良さを最大限に生かす表情で接するくせに、私にはいつも済ましたような顔をしてくる。目が合えば薄ら笑いをされるし、その後は感じ悪く逸らされる。
 きっと、この世で唯一〝私だけ〟が彼に見下されている。
 そんな彼が、私は|大《・》|っ《・》|嫌《・》|い《・》で仕方がない。
 本物の人気者の噂は、一年の頃から耳にはしていた。
 話しを聞くだけで劣等感を抱いていた。このまま3年間同じクラスになりませんようにと願っていたのに、今年になって同じクラスになってしまった。けれど彼とは、今まで一度も話したことがない。
 彼のことを好きな女子から嫌な視線を向けられたことは一度もない。仲が悪いという噂が勝手に流れ始めたのが春。そして夏になれば、癪に障る〝白石さんって、玲青くんに嫌われてるらしいよ〟なんていう噂が流れ始めた。
 嫌われてはいるけれど、そこに私も嫌いらしいよっていう噂も流れてほしかった。
 いつも、私だけが下みたいなレッテルばかり貼られる。それが死ぬほど悔しい。
 彼と仲良くしておいて損はないと思う。家はお金持ちらしいし、何人か連れていつもご飯などを奢っているのをよく見る。勉強も運動も出来るし、先生たちからの人望も厚い。みんなから異常なほど好かれている先輩たちとも仲が良いし、仲良くしておいて損するところなんてどこにもない。
 でも私は、そんな彼と仲良くなんかしたくない。
 見下されているのも嫌いな理由の一つだけど、彼だって私〝同じ〟なはずなのに、私とは違ってみんなが彼を人として扱っている。私が必死になって頑張っているものがあるとする。それを彼は、いとも簡単にやってのけてしまう。私が欲しい物を、全て持っている。
 私と同じように微笑んでおけばちやほやされるというのに、なんで私は──彼とは違うのだろう?
 自分と違いすぎる彼に劣等感を抱かないってほうが不思議で仕方がない。
 世の中には何でも受け止めて、諦めて、劣等感を抱かない人が当然いる。そんな人たちを、私は心から尊敬する。
 絆創膏が巻かれている親指を抉ろうと人差し指の爪で抉るが、抉れている感覚がなくてもどかしい。いっそ、絆創膏をとって朝以上に抉ったら冷静を取り戻して、心が軽くなるのではないだろうか。異常な思考になった私は、空いている左手で絆創膏を取ろうと端を少しだけ向いた時、チャイムが学校中に響き渡った。同時に先生が教室に入ってくる。廊下や席についていない生徒を怒りながら。
「じゃあましろ、また10分休みに来るね」
「うん」
 咄嗟に机の中から手を出して、二人に手を振った。
 やっと息がしやすくはなったが、今日も長い地獄の時間が始まる。
 放課後、一人でいられる空間になるまで、私はただ微笑んでいるだけの高嶺の花というやつを演じる天王寺玲青とは違う、中身が空っぽな高嶺の花を。
 注目されたくて、こんな立ち位置になったわけではない。
 私はただ、みんなと同じ人間の扱いをされたかっただけ。
 あなたとか、お前じゃなくて、名前を呼ばれたかった。声をかけてほしかった。私の目を見て話してほしかった。会話をしたかった。
 ──私という存在を、誰かの心に残したかった。
 ただ、それだけの理由。