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第1話 イントゥ・ザ・ナイト

ー/ー



●真視点



 いつの間にか眠ってしまっていたようだった。

 目を覚ますと、全身は汗びっしょりで呼吸は大きく乱れていた。

 夢遊病を発症し、自分でも気がつかないうちにプールで泳いでいたわけでも、マラソンしたわけでもない。

 悪夢を見たのだ。

 オレは波打つ感情を落ち着かせるため、両手で顔を覆い、懸命に呼吸を整えた。

 胸の上下が治まってから、スマホを確認すると時刻はまだ午前三時。 

 窓の向こうは未だ夜の勢力が勝っているようで、街路灯の灯りがカーテンの隙間から洩れている。

 朝日よ、早く昇れ。

 念じながら、スマホを握る手が白くなった。

 オレには自転車に乗れない悔しさや、水恐怖症といった死線を超えるごとに刻まれていく負の傷跡よりも恐ろしいものがあった。



 夜──。



 夜が何よりも怖かった。

 部屋の電気を消し、眠りにつけば、あの日の出来事を夢に見るのだ。

 その度にうなされ、目を覚ます。自分の荒い呼吸や早鐘を打つ鼓動が耳に触る。

 オレは生きている。

 生きてしまっている。

 どうしてオレが──。

 暗闇の中で実感する「生」は、生きているものが死ぬまで負わなければならない命の責任を問いただされているようで、ごく普通の一般人が「明日から君が大統領だ」と分不相応な仕事を押し付けられ、その重責に絞め殺される気分だった。

 だから、オレは眠るのをやめたのだ。

 夜は寝ずにゲームに徹し、太陽が目覚め、街が起き出した頃に二時間程度の仮眠を取ることにした。

 そのため授業はいつも居眠りばかりで、成績は言わずもがなこれ以上の底がないほどの落ち込みようだった。

 学校は眠るために通学していると言っても決して大袈裟ではなく、夏休みでもないのに生活は昼夜逆転してしまっている。

 夜は執拗なほどオレを追及し、夢を見せるのだ──間もなく三年前になろうとしているあの日の夢を。

 崎山 孝志(さきやま たかし)

 警察官だったじいちゃんは奉職から退官までの長い警察官人生を地域課の巡査長として精勤した。地域課は地域の人々の声が一番届きやすい言わば窓口となる部署で、「お巡りさん」として街の平和と安全を見守ってきた。

 特筆するような手柄を立てる警察官ではなかったが、穏やかな人柄で人徳のあったじいちゃんと一緒に街へ出掛ければ、見知らぬ人から「あのときはありがとうございました」と感謝され、慕われる姿は孫として誇らしく、鼻が高くもあった。

 人の心に寄り添った仕事をするじいちゃんは仮面ライダーやウルトラマンよりも恰好よく、オレと妹の加奈のヒーローだった。

 厳しく口煩(くちうるさ)いばあちゃんよりも、いつもたっぷりの愛情で甘やかしてくれるじいちゃんがオレたち兄妹は大好きだった。特に加奈はじいちゃん子で、何をするにでも、じいちゃんと一緒がいいと泣き出す始末だったから家族は非常に手を焼いた。

 振り返ってみると、あの頃は幸せの真っただ中にあったのだと今更ながらに思う。「灯台下暗し」の言葉や「青い鳥」の寓話ように幸せはすぐ近くにあったはずなのに、オレは自らの手で壊してしまったのだ。

「じいちゃんなんて大嫌いだ!」

 オレが詠唱した呪いの呪文だ。

 あの日、じいちゃんと()()()()が原因で口論となり、一方的にひどい言葉を浴びせたオレは家を飛び出した。

 ちょうど反抗期がピークだった頃で、自分の名前や信号の色、ひいては時計の針が進む方向まで世の中のすべてが気に入らず、神経がいつも尖がっていて居心地が悪かった。それも全部まとめてじいちゃんに当たり散らしたのだ。

 じいちゃんがあとを追ってきたことに気がついていたが、容赦なく距離を引き離すと、やがて靴音は聞こえなくなった。

 ほっとしたのも束の間、雨が降り出した。

 すでに水恐怖症であったから雨は大嫌いだったが、運よく近くのコンビニに逃げ込んだときには、しばらく家に帰らずにすむことに感謝すらしていた。

 立ち読みをしながら窓の外を覗くと、しぶく雨は夜の街をぼんやりと滲ませ、真っ暗な夜の天井から垂れ下がるレースのカーテンを思わせた。

 頭を冷やすには充分すぎる時間を雨宿りに費やして、雨上がりの街に出た。

 どんな顔をしてじいちゃんに会えばいいのだろうか。さり気なく「ごめん」と言えば、いつものように接してくれるだろうか。

 不安を抱きつつ玄関ドアを開けると、帰宅したオレを見るなり家族が怪訝そうに眉をひそめた。

「おじいちゃんに会わなかったの? ずいぶん前に傘を持って真を探しに行ったんだけど」

 嫌な予感が頭をよぎった。

 早朝。

 リビングの電話が鳴り、受話器を上げたばあちゃんが膝から崩れ落ちたのを今でもよく覚えている。

 警察からの電話でじいちゃんの遺体が見つかったと告げられたのだ。

「……お兄ちゃんのせいよ」

 押し殺すように吐き出された加奈の言葉は胸をえぐったばかりか、頭にも衝撃を与えた。

 加奈は赤いランドセルからリコーダーを引き抜き、オレの頭に思い切り振り下ろしたのだ。生温かいものが一筋流れ出て、触れてみると、ランドセルと同じ赤い色で手のひらが濡れていた。加奈はもう一度腕を振り上げたが、父さんに押さえつけられ、大暴れしながら、喚き散らした。

「おじいちゃんが死んだのは全部お兄ちゃんのせいなんだからね。大嫌い……お兄ちゃんの人殺し!」

 元々、加奈の意見に賛同することは少なかったが、このときばかりは全くその通りだと思った。

 オレが家を飛び出しさえしなければ、じいちゃんは死なずにすんだのだ。じいちゃんはオレが殺したも同然。なぜ、死んだのがじいちゃんで、オレではなかったのか。なぜ、じいちゃんが死ななければならなかったのか。

 じいちゃん……じいちゃん……ごめん……ごめんな──。

 奇しくもその日はオレの十五の誕生日で、リビングに飾られたカレンダーには花丸の印とじいちゃんの文字で「(まこと)の誕生日」と書かれてあった。

『じいちゃんなんて大嫌いだ!』

 じいちゃんに浴びせた呪いの呪文は、今後も毎年やって来るはずの誕生日を真っ白な空白と空虚で埋めることになった。

 家族はオレを過剰に気遣い、「真の誕生日パーティーをしよう」。毎年そう提案してくれるのだが、人殺しのオレが誕生日を祝福されていいはずがなかった。オレは自身の罪を受け入れ、死を以って償うべきだと今も責め続けている。

 この日を境に加奈との関係は最悪の一途を辿り、オレは誕生日を消滅させたのだ──。


 ※ ※ ※


 今から眠ったところで、夢の続きを見るに違いないと踏んだオレはこのまま起きていることに決めた。そうすれば、遅刻の心配はないし、聖子先生に叱られる恐れもない。ゲームをして時間をつぶそうと、部屋の電気に手を伸ばしたとき、全神経が急停止した。

 眠りから覚めたばかりで寝ぼけているのかもしれない。

 頭の片隅でそう思ったが、人は自分の想像を遥かに超える事象に出くわしたとき、古いパソコンがデータを処理しきれないときのように、目の前の現実にフリーズするのだ。

 例に漏れずオレもしっかりフリーズし、それから準備運動よろしく大量の空気を肺へ送り込んだ。そして、息を吐き出すとともに叫ぶ。

「出た──────!!!!!」

 暗闇にぼんやり浮かび上がったのは四つん這いの逆、つまりブリッジ歩きのまま近づいてくる人影だった。

 すぐさま、有名ホラー映画のワンシーンが頭の中で再生される。

 悪魔に憑依を受けた少女がブリッジの態勢のまま階段を駆け下りる俗に言うスパイダーウォークのあの場面だ。

 人影はまさに蜘蛛のような不気味な動きで接近してくる。思わず助けを呼んだ。

「真之助、助けてくれぇっ……」

「え?」

 人影は間の抜けた声を発すると、ブリッジの態勢からひょっこり上体を起こした。

 闇に慣れてきた目を凝らすと人影がはっきりと形を結ぶ。

 真之助だ。

「深夜に何をしてくれてるんだよ」

「鍛えていたんだ。守護霊は体が資本だからねだからね。体力を維持しないと」

「だからって、深夜にブリッジ歩きしてんなよ。どんな神経して……んだよ。バカ……じゃ……ねえの──」  

 そこまで言って安堵の波に意識が攫われた。

 これではまた夢の中に逆戻りではないか。

 意識を失う瞬間にそう思ったが、すぐに居心地のいい子守唄が耳に届いた。音程もリズムもてんでバラバラなのに、不思議と耳なじみがよく、どこか懐かしく感じるのはなぜだろうか。以前に聴いたことがあるのかもしれない。

 ──じいちゃんの歌?

 もつれた記憶の糸を解こうとしたところで、オレの意識はプツンと切れた。


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●真視点
 いつの間にか眠ってしまっていたようだった。
 目を覚ますと、全身は汗びっしょりで呼吸は大きく乱れていた。
 夢遊病を発症し、自分でも気がつかないうちにプールで泳いでいたわけでも、マラソンしたわけでもない。
 悪夢を見たのだ。
 オレは波打つ感情を落ち着かせるため、両手で顔を覆い、懸命に呼吸を整えた。
 胸の上下が治まってから、スマホを確認すると時刻はまだ午前三時。 
 窓の向こうは未だ夜の勢力が勝っているようで、街路灯の灯りがカーテンの隙間から洩れている。
 朝日よ、早く昇れ。
 念じながら、スマホを握る手が白くなった。
 オレには自転車に乗れない悔しさや、水恐怖症といった死線を超えるごとに刻まれていく負の傷跡よりも恐ろしいものがあった。
 夜──。
 夜が何よりも怖かった。
 部屋の電気を消し、眠りにつけば、あの日の出来事を夢に見るのだ。
 その度にうなされ、目を覚ます。自分の荒い呼吸や早鐘を打つ鼓動が耳に触る。
 オレは生きている。
 生きてしまっている。
 どうしてオレが──。
 暗闇の中で実感する「生」は、生きているものが死ぬまで負わなければならない命の責任を問いただされているようで、ごく普通の一般人が「明日から君が大統領だ」と分不相応な仕事を押し付けられ、その重責に絞め殺される気分だった。
 だから、オレは眠るのをやめたのだ。
 夜は寝ずにゲームに徹し、太陽が目覚め、街が起き出した頃に二時間程度の仮眠を取ることにした。
 そのため授業はいつも居眠りばかりで、成績は言わずもがなこれ以上の底がないほどの落ち込みようだった。
 学校は眠るために通学していると言っても決して大袈裟ではなく、夏休みでもないのに生活は昼夜逆転してしまっている。
 夜は執拗なほどオレを追及し、夢を見せるのだ──間もなく三年前になろうとしているあの日の夢を。
 |崎山 孝志《さきやま たかし》。
 警察官だったじいちゃんは奉職から退官までの長い警察官人生を地域課の巡査長として精勤した。地域課は地域の人々の声が一番届きやすい言わば窓口となる部署で、「お巡りさん」として街の平和と安全を見守ってきた。
 特筆するような手柄を立てる警察官ではなかったが、穏やかな人柄で人徳のあったじいちゃんと一緒に街へ出掛ければ、見知らぬ人から「あのときはありがとうございました」と感謝され、慕われる姿は孫として誇らしく、鼻が高くもあった。
 人の心に寄り添った仕事をするじいちゃんは仮面ライダーやウルトラマンよりも恰好よく、オレと妹の加奈のヒーローだった。
 厳しく|口煩《くちうるさ》いばあちゃんよりも、いつもたっぷりの愛情で甘やかしてくれるじいちゃんがオレたち兄妹は大好きだった。特に加奈はじいちゃん子で、何をするにでも、じいちゃんと一緒がいいと泣き出す始末だったから家族は非常に手を焼いた。
 振り返ってみると、あの頃は幸せの真っただ中にあったのだと今更ながらに思う。「灯台下暗し」の言葉や「青い鳥」の寓話ように幸せはすぐ近くにあったはずなのに、オレは自らの手で壊してしまったのだ。
「じいちゃんなんて大嫌いだ!」
 オレが詠唱した呪いの呪文だ。
 あの日、じいちゃんと|あ《・》|る《・》|こ《・》|と《・》が原因で口論となり、一方的にひどい言葉を浴びせたオレは家を飛び出した。
 ちょうど反抗期がピークだった頃で、自分の名前や信号の色、ひいては時計の針が進む方向まで世の中のすべてが気に入らず、神経がいつも尖がっていて居心地が悪かった。それも全部まとめてじいちゃんに当たり散らしたのだ。
 じいちゃんがあとを追ってきたことに気がついていたが、容赦なく距離を引き離すと、やがて靴音は聞こえなくなった。
 ほっとしたのも束の間、雨が降り出した。
 すでに水恐怖症であったから雨は大嫌いだったが、運よく近くのコンビニに逃げ込んだときには、しばらく家に帰らずにすむことに感謝すらしていた。
 立ち読みをしながら窓の外を覗くと、しぶく雨は夜の街をぼんやりと滲ませ、真っ暗な夜の天井から垂れ下がるレースのカーテンを思わせた。
 頭を冷やすには充分すぎる時間を雨宿りに費やして、雨上がりの街に出た。
 どんな顔をしてじいちゃんに会えばいいのだろうか。さり気なく「ごめん」と言えば、いつものように接してくれるだろうか。
 不安を抱きつつ玄関ドアを開けると、帰宅したオレを見るなり家族が怪訝そうに眉をひそめた。
「おじいちゃんに会わなかったの? ずいぶん前に傘を持って真を探しに行ったんだけど」
 嫌な予感が頭をよぎった。
 早朝。
 リビングの電話が鳴り、受話器を上げたばあちゃんが膝から崩れ落ちたのを今でもよく覚えている。
 警察からの電話でじいちゃんの遺体が見つかったと告げられたのだ。
「……お兄ちゃんのせいよ」
 押し殺すように吐き出された加奈の言葉は胸をえぐったばかりか、頭にも衝撃を与えた。
 加奈は赤いランドセルからリコーダーを引き抜き、オレの頭に思い切り振り下ろしたのだ。生温かいものが一筋流れ出て、触れてみると、ランドセルと同じ赤い色で手のひらが濡れていた。加奈はもう一度腕を振り上げたが、父さんに押さえつけられ、大暴れしながら、喚き散らした。
「おじいちゃんが死んだのは全部お兄ちゃんのせいなんだからね。大嫌い……お兄ちゃんの人殺し!」
 元々、加奈の意見に賛同することは少なかったが、このときばかりは全くその通りだと思った。
 オレが家を飛び出しさえしなければ、じいちゃんは死なずにすんだのだ。じいちゃんはオレが殺したも同然。なぜ、死んだのがじいちゃんで、オレではなかったのか。なぜ、じいちゃんが死ななければならなかったのか。
 じいちゃん……じいちゃん……ごめん……ごめんな──。
 奇しくもその日はオレの十五の誕生日で、リビングに飾られたカレンダーには花丸の印とじいちゃんの文字で「|真《まこと》の誕生日」と書かれてあった。
『じいちゃんなんて大嫌いだ!』
 じいちゃんに浴びせた呪いの呪文は、今後も毎年やって来るはずの誕生日を真っ白な空白と空虚で埋めることになった。
 家族はオレを過剰に気遣い、「真の誕生日パーティーをしよう」。毎年そう提案してくれるのだが、人殺しのオレが誕生日を祝福されていいはずがなかった。オレは自身の罪を受け入れ、死を以って償うべきだと今も責め続けている。
 この日を境に加奈との関係は最悪の一途を辿り、オレは誕生日を消滅させたのだ──。
 ※ ※ ※
 今から眠ったところで、夢の続きを見るに違いないと踏んだオレはこのまま起きていることに決めた。そうすれば、遅刻の心配はないし、聖子先生に叱られる恐れもない。ゲームをして時間をつぶそうと、部屋の電気に手を伸ばしたとき、全神経が急停止した。
 眠りから覚めたばかりで寝ぼけているのかもしれない。
 頭の片隅でそう思ったが、人は自分の想像を遥かに超える事象に出くわしたとき、古いパソコンがデータを処理しきれないときのように、目の前の現実にフリーズするのだ。
 例に漏れずオレもしっかりフリーズし、それから準備運動よろしく大量の空気を肺へ送り込んだ。そして、息を吐き出すとともに叫ぶ。
「出た──────!!!!!」
 暗闇にぼんやり浮かび上がったのは四つん這いの逆、つまりブリッジ歩きのまま近づいてくる人影だった。
 すぐさま、有名ホラー映画のワンシーンが頭の中で再生される。
 悪魔に憑依を受けた少女がブリッジの態勢のまま階段を駆け下りる俗に言うスパイダーウォークのあの場面だ。
 人影はまさに蜘蛛のような不気味な動きで接近してくる。思わず助けを呼んだ。
「真之助、助けてくれぇっ……」
「え?」
 人影は間の抜けた声を発すると、ブリッジの態勢からひょっこり上体を起こした。
 闇に慣れてきた目を凝らすと人影がはっきりと形を結ぶ。
 真之助だ。
「深夜に何をしてくれてるんだよ」
「鍛えていたんだ。守護霊は体が資本だからねだからね。体力を維持しないと」
「だからって、深夜にブリッジ歩きしてんなよ。どんな神経して……んだよ。バカ……じゃ……ねえの──」  
 そこまで言って安堵の波に意識が攫われた。
 これではまた夢の中に逆戻りではないか。
 意識を失う瞬間にそう思ったが、すぐに居心地のいい子守唄が耳に届いた。音程もリズムもてんでバラバラなのに、不思議と耳なじみがよく、どこか懐かしく感じるのはなぜだろうか。以前に聴いたことがあるのかもしれない。
 ──じいちゃんの歌?
 もつれた記憶の糸を解こうとしたところで、オレの意識はプツンと切れた。