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第1回

1/18



    は通学路に立っていた。
    6月の強い日差しの下、影1つ落とさずに。


 100センチそこそこの身長で、肩のすぐ上で切りそろえられたおかっぱ頭に色とりどりの小さな花がちりばめられた長袖のワンピース。かわいらしい姿に不似合いな、泥まみれの赤い靴。

 視界に入った瞬間、またか、と伊藤(いとう) 憂喜(ゆうき)は思った。
 歩速を変えず、眠たげなあくびをして。何も見えていないという(てい)で少女の後ろを通り抜ける。
 猫背の少女は壁に向かって立っていて顔は見えなかったが、頬を隠す髪先からは滴が伝い落ちていた。
 雨だろうか?
 何かつぶやいているような気もしたが、分からない。いつも()えるだけだ。霊が何を話しているか、伝えようとしているか、分かったことは1度もなかった。

 憂喜のほうから話しかけるなど論外だ。昔、6つか7つのころ、1度だけ憂喜から話しかけたことがあったが、結果は惨憺たるものだった。
 当時小さかったこともあり、二度と思い出したくもないと忘れるように努めたおかげでどんな内容だったかは本当に忘れてしまった。嫌な体験だったということぐらいしか覚えていないが、とにかく痛い目にあったのはこっちのほうだということだけは覚えている。
 だから、何か波長が合ったように時たまこうして霊の存在に気付くことがあっても、完全無視することに決めていた。

 昨日まで見かけなかったし、この付近で少女が死んだという話も聞いてない。それならすぐふらりとどこかへいなくなるだろう。

 小さなころから霊視体験に事欠かない憂喜には、それなりに知識があった。だからこのときもそう結論付けて、学校に着くころには少女の幽霊のことなどきれいさっぱり忘れてしまっていた。
 きっと帰りに通ったときにはもういなくなっているに違いない、と。

 それは、とんでもない思い違いだったわけだが。


◆◆◆


 夕方。憂喜はクラスメイトで友人の斉藤や田中とだべりながら帰宅していた。

 話題は今夜のテレビドラマの話からその日学校であった出来事、ネットで聞きかじった真偽のあやふやな噂話などで、広く浅い。そして会話している最中もスマホから目を離さず、ながら歩きをしており、開いているのは今はやりのソシャゲ『Origin Sin』だった。
 キリストの弟子や住民たちを操作してローマ軍と戦うターン制シミュレーションRPGで、100を超える美麗なユニットキャラたちで編成を組み、さまざまなアビリティを駆使して戦うパートの合間に彼らと関係性を育む日常パートがあり、男女ともに人気がある。

 昨日から始まった初夏イベントの攻城報償がイマイチだとか、新キャラ癖強すぎとか、攻略について話し合いながらパーティー編成について考えていたときだ。
 ふと何か感じるものがあって視線を上げた憂喜は、前方にあの少女がいることに気付いた。
 夕焼けに染まった道の途中でそこだけ妙に薄暗くて、目を凝らしてみるとぼんやりしていた輪郭線がだんだん人の形にまとまって、あああの少女だと分かったのだ。
 おや? と思う。

(ここだったっけ?)

 朝見たときはもっと手前だったと思ったが、と確認するように後ろへ視線を投げる。確か、あの丁字路の向こうだったよな、と。
 ただ、このときは友達と一緒だったこともあり、それ以上深く考えることはやめにして、視線を手元に戻した。
「前衛に槍歩3、後衛に重馬2・弓兵1にしたんだけど、この編成でいけるかな?」
 2人に呼びかけ、彼らを自分のスマホへ注目させることでそれとなく少女にぶつかりそうだった軌道を修正し、少女の後ろを通り過ぎる。朝のように、視えていないふりをして。


◆◆◆


 翌日も、翌々日も、憂喜は通学路で壁に向かう少女を見かけた。

 いつもなら1日2日でどこかへ行ってしまっていたのに、少女の霊はまだいなくならない。
 見るたびに微妙に立つ場所が変わっているのは移動している途中なのだろうと思うことで納得して、はじめのうちこそ気にしないようにしていた憂喜だったが、10日もたてばさすがに気味が悪くなる。
 ああ、今朝も昨日と場所が変わってる。昨日はあそこの電柱にいたのに。
 その前はもう少し先の丁字路で――と、そこまで考えて、脳裏にひらめきが走った。

 見かける場所が少しずつ手前側にずれてきている。それはつまり、自分のあとをつけているからじゃないのか?

 一気に跳ね上がった動悸に胸が痛くなって、手をあてる。
 気のせいだと思った。気にしすぎだ。だからそんなことを考えるんだと。
 確証がほしくて肩越しに伺った先で、少女が壁でなく自分のほうを向いていることが分かったときは、心底ぞっとした。

 まだ朝だというのに少女の周囲だけが暗かった。まるで夜道に立つように。
 暗がりで、黒い(もや)のようなものが数本、触手のようにうねっているのを見た瞬間。恐怖とパニックに襲われて、憂喜は走りだした。

 やばい。やばい、やばい、やばいって。
 あれは絶対やばいものだ……!

 真っ白になった頭に、その言葉が突き刺さる。
 このとき、もし憂喜が振り返っていたなら。
 振り返り、少女をしっかり真正面から見ていたならば。
 あるいは憂喜は気付けたかもしれなかった。少女の唇が繰り返し紡ぐ言葉、その悲しい意味に。
 そうしたなら、この先に起こる全ては、もう少し違ったものだったかもしれない。

 だが憂喜は少女から逃げることだけを考えて走り続けた。
 あの日のように、決して振り返らずに。


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    は通学路に立っていた。
    6月の強い日差しの下、影1つ落とさずに。


 100センチそこそこの身長で、肩のすぐ上で切りそろえられたおかっぱ頭に色とりどりの小さな花がちりばめられた長袖のワンピース。かわいらしい姿に不似合いな、泥まみれの赤い靴。

 視界に入った瞬間、またか、と伊藤(いとう) 憂喜(ゆうき)は思った。
 歩速を変えず、眠たげなあくびをして。何も見えていないという(てい)で少女の後ろを通り抜ける。
 猫背の少女は壁に向かって立っていて顔は見えなかったが、頬を隠す髪先からは滴が伝い落ちていた。
 雨だろうか?
 何かつぶやいているような気もしたが、分からない。いつも()えるだけだ。霊が何を話しているか、伝えようとしているか、分かったことは1度もなかった。

 憂喜のほうから話しかけるなど論外だ。昔、6つか7つのころ、1度だけ憂喜から話しかけたことがあったが、結果は惨憺たるものだった。
 当時小さかったこともあり、二度と思い出したくもないと忘れるように努めたおかげでどんな内容だったかは本当に忘れてしまった。嫌な体験だったということぐらいしか覚えていないが、とにかく痛い目にあったのはこっちのほうだということだけは覚えている。
 だから、何か波長が合ったように時たまこうして霊の存在に気付くことがあっても、完全無視することに決めていた。

 昨日まで見かけなかったし、この付近で少女が死んだという話も聞いてない。それならすぐふらりとどこかへいなくなるだろう。

 小さなころから霊視体験に事欠かない憂喜には、それなりに知識があった。だからこのときもそう結論付けて、学校に着くころには少女の幽霊のことなどきれいさっぱり忘れてしまっていた。
 きっと帰りに通ったときにはもういなくなっているに違いない、と。

 それは、とんでもない思い違いだったわけだが。


◆◆◆


 夕方。憂喜はクラスメイトで友人の斉藤や田中とだべりながら帰宅していた。

 話題は今夜のテレビドラマの話からその日学校であった出来事、ネットで聞きかじった真偽のあやふやな噂話などで、広く浅い。そして会話している最中もスマホから目を離さず、ながら歩きをしており、開いているのは今はやりのソシャゲ『Origin Sin』だった。
 キリストの弟子や住民たちを操作してローマ軍と戦うターン制シミュレーションRPGで、100を超える美麗なユニットキャラたちで編成を組み、さまざまなアビリティを駆使して戦うパートの合間に彼らと関係性を育む日常パートがあり、男女ともに人気がある。

 昨日から始まった初夏イベントの攻城報償がイマイチだとか、新キャラ癖強すぎとか、攻略について話し合いながらパーティー編成について考えていたときだ。
 ふと何か感じるものがあって視線を上げた憂喜は、前方にあの少女がいることに気付いた。
 夕焼けに染まった道の途中でそこだけ妙に薄暗くて、目を凝らしてみるとぼんやりしていた輪郭線がだんだん人の形にまとまって、あああの少女だと分かったのだ。
 おや? と思う。

(ここだったっけ?)

 朝見たときはもっと手前だったと思ったが、と確認するように後ろへ視線を投げる。確か、あの丁字路の向こうだったよな、と。
 ただ、このときは友達と一緒だったこともあり、それ以上深く考えることはやめにして、視線を手元に戻した。
「前衛に槍歩3、後衛に重馬2・弓兵1にしたんだけど、この編成でいけるかな?」
 2人に呼びかけ、彼らを自分のスマホへ注目させることでそれとなく少女にぶつかりそうだった軌道を修正し、少女の後ろを通り過ぎる。朝のように、視えていないふりをして。


◆◆◆


 翌日も、翌々日も、憂喜は通学路で壁に向かう少女を見かけた。

 いつもなら1日2日でどこかへ行ってしまっていたのに、少女の霊はまだいなくならない。
 見るたびに微妙に立つ場所が変わっているのは移動している途中なのだろうと思うことで納得して、はじめのうちこそ気にしないようにしていた憂喜だったが、10日もたてばさすがに気味が悪くなる。
 ああ、今朝も昨日と場所が変わってる。昨日はあそこの電柱にいたのに。
 その前はもう少し先の丁字路で――と、そこまで考えて、脳裏にひらめきが走った。

 見かける場所が少しずつ手前側にずれてきている。それはつまり、自分のあとをつけているからじゃないのか?

 一気に跳ね上がった動悸に胸が痛くなって、手をあてる。
 気のせいだと思った。気にしすぎだ。だからそんなことを考えるんだと。
 確証がほしくて肩越しに伺った先で、少女が壁でなく自分のほうを向いていることが分かったときは、心底ぞっとした。

 まだ朝だというのに少女の周囲だけが暗かった。まるで夜道に立つように。
 暗がりで、黒い(もや)のようなものが数本、触手のようにうねっているのを見た瞬間。恐怖とパニックに襲われて、憂喜は走りだした。

 やばい。やばい、やばい、やばいって。
 あれは絶対やばいものだ……!

 真っ白になった頭に、その言葉が突き刺さる。
 このとき、もし憂喜が振り返っていたなら。
 振り返り、少女をしっかり真正面から見ていたならば。
 あるいは憂喜は気付けたかもしれなかった。少女の唇が繰り返し紡ぐ言葉、その悲しい意味に。
 そうしたなら、この先に起こる全ては、もう少し違ったものだったかもしれない。

 だが憂喜は少女から逃げることだけを考えて走り続けた。
 あの日のように、決して振り返らずに。


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