第8話 没落令嬢の嘆き

ー/ー



 ララたちがヤンに発勁の教えを請うてから数日が経過した。

 自然と一体になる――

 あまりにも抽象的な目標を前に具体的に何をすれば良いのかわからない二人は、仕事終わりや休日に自然の多い場所に身を置くため、町から一番近い山であるマルロー山へとおもむいていた。しかしそこで特に何をするでもなく、ただその場に寝転がったり空を見上げたりしているだけで時間を潰すだけであった。

「……わかりませんわ」

 (くさむら)に仰向けで寝そべり、ただ流れゆく雲をぼんやり眺めながら、ララはポツリとつぶやく。

「ああ、わからないね……」

 その側で同じように寝転がるミレーヌが同調する。

「自然を感じ、自然と一体になる……。果たして自然の中でただ自堕落に過ごすことが正解なのでしょうか?」
「毎日ここに来てはこうして無為に時を消費する……。このままじゃただのダメ人間になっちまうような気がするよ」

 ため息交じりに思案に暮れる二人だが、結局何が正解なのかはわからないままだ。

「ですが、せっかく二泊の山ごもりを決意したのですから、何かを掴まなければなりませんわね」

 そっと空に手を伸ばし、雲を摘もうと手を握りこむララ。

 このままでは何も変わらないと感じた二人は、ヤンに頼んで二泊三日の山ごもりを決行している最中であった。
 その間、食事は自然にあるものから食材を調達し、夜は天幕(テント)を立ててその中で過ごす。
 要はキャンプである。

 ぐうぅぅぅぅぅッ!!

 刹那、ララのお腹の虫が空腹を知らせる調(しらべ)を奏でる。

「ハハハ、大きな音だね。とてもお嬢様とは思えな――」

 その間抜けな音色に思わず吹き出すミレーヌだったが、

 ぐぎゅるるるるるッ!!

 今度は彼女のお腹からさらに大きな調(しらべ)が奏でられる。

「あら、ミレーヌこそずいぶんと主張の強い腹の虫ですこと。しかも音が少し濁ってますわ。もしかして便秘ですの?」
「すこぶる快便だよッ!!」

 ララの容赦ない口撃に、ミレーヌは思わず絶叫して否定するのだった。

「ともかく、そろそろお昼時のようですわね」

 お腹の空腹具合と太陽の位置からそう察すると、ララたちはゆっくりと体を起こす。

「何はともあれ、腹に何か入れておかないと力が出ないからね。二人で手分けして食材を調達しようか?」
「それではわたくしはお魚を捕まえて参りますわ」
「それじゃアタシは山菜とかキノコとか採って来るよ」

 役割分担が決定したところで、二人はそれぞれ別行動を開始する。

「たしかこちらに川があったはずですわよね」

 ララは、この山に来る時に聞いた川のせせらぎを頼りに木々の間を抜けて行く。

「ありましたわ!」

 森林を抜けた先は清流が流れる河原であり、陽光を受けた小川がキラキラと宝石のような輝きを放っていた。

「フフフ、たくさん泳いでますわね」

 透き通った水面の先には、数えきれないほどの魚の群れがのんびりと遊泳しているのが見える。

 ララは靴をその場に脱ぎ捨て、ゆっくりと川の中に足を入れる。
 まだ秋ではあるが、ひんやりとした冷涼感が直に伝わり、思わず身震いしてしまう。

「さあ、捕まえますわよ」

 川の中ほどまで進んで、そこで下を見下ろす。
 小川ではあるが、渓流が近くにあるために流れはかなり速い。
 ララは流されないように足先に力をこめながら、すぐ側を悠々と泳いでいる魚目掛けて両手を突っ込んだ。

 バシァアアアッ!!

 突き出した手は大きな水飛沫を上げて魚に迫るが、(すんで)のところでスルリとかわされ、そのまま逃げられてしまう。

「ああん、惜しいですわッ!」

 ララはイラ立たしげに叫び、思わず地団駄を踏んだ。

 ほんのわずか外しただけだ。次は上手くいくはずだ、と彼女は思った。

 しかし、それから同じように何度も挑戦してみるが、魚を掴むことが出来ない。

 そんな彼女をまるで挑発しているかのように、魚は目の前でわざわざ止まっているのに。
 あと少し。ほんの少し。
 だが、そのわずかな差をどうしても埋めることが出来なかった。

「もう、何でですのッ!!」

 イラ立ちをぶつけるように大きく水を蹴り上げる。

 すると、その拍子に石の上に置いていたもう片方の足がズルっと滑り、

 バッシャアァァァァァンッッッ!!!

 完全にバランスを崩してお尻から倒れこみ、大きな水飛沫を上げてそのまま川の中にダイブしてしまう。

 そんな少女を嘲笑うかのように、魚はなおもその周囲を悠々と泳いでいるのだった。

「きいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッッッ!!!」

 やけになったララはもはや身を潜めることも虚を衝くも諦め、闇雲に追いかけ回すが、当然それで魚を捕まえられるはずもなく、ただただ切歯扼腕(せっしやくわん)する少女の金切り声が虚しく響き渡るのだった。



「どうしたんだい? ずぶ濡れじゃないか!?」

 一時間ほどして両手いっぱいに食材を抱えて戻って来たミレーヌは、着衣のまま全身水浸しになってガタガタと体を震わせながら帰って来るララを見て一驚する。

「面目次第もございません……お魚、一匹も取れませんでしたわ」
「すぐ火を起こすから!」

 ミレーヌはすぐさま用意していた焚き木をその場にくべて火を起こした。

「ああ、生き返りますわ……」

 焚き火の前に座って暖を取り、ララはようやく落ち着きを取り戻す。

「まったく、ララはムチャしすぎなんだよ」

 採ってきた山菜やキノコを軽く火で(あぶ)りながら、ミレーヌが苦笑する。

 そして、それらに加えて砕いた木の実やベリーなどの果物を木皿に乗せてララに差し出した。

「ほら、ちゃんと食べて体力つけな」
「ありがとうございます」

 ミレーヌも自身の分を盛りつけると、隣に座りようやく食事にありついた。

 ララはそれらを食しながら、ふと感じたことを口にした。

「わたくしは無力ですわ」
「どうしたんだい、いきなり?」
「わたくしひとりでは食材も満足に得られませんでした。たった一回の食事なのに、それを成すためにこれほどまでの労力を必要としなければならないのか、と痛感したしましたわ」
「そうだよね。食材を生産する人がいて、それを運ぶ人がいて、それを商う人がいて、それを料理する人がいる。普段当たり前のように口にしてる食材ひとつ取っても、アタシたちの知らないところでいろんな人が携わっているんだよね」

 ひとつひとつ数えるように指を折りながら、ミレーヌはララの言葉に同調して話を広げる。
 
「そう考えると、この世に『当たり前』なんてものは存在しないのかも知れませんわね。『当たり前』の一言で片付けようとするのは、きっと(おご)でしかないのでしょうね」
「そうだね。人間はちっぽけでひとりでは生きられない弱い生き物だ。だから群れる。それぞれが足りないところを補い合って、それで上手く社会を形成してくんだ」
「ええ。この自然に比べて人間の何と眇々(びょうびょう)たるか。それを知れただけでもずぶ濡れになった甲斐があるというものですわ」

 二人はそんな話をしながら自然の恵みに感謝の念を抱き、食事を進めるのだった。
  
 

「こちらに滝があるみたいです。行ってみませんこと?」

 昼食を摂り終えると、ララのそんな提案により二人は小川を(さかのぼ)って渓流へと足を運んだ。

 そこには高さ五メートルほどの滝が二つあり、その豊かな水源は止めどなく下流の小川へと注いでいた。

「こうして見ると迫力あるね」

 感嘆の言葉を漏らすミレーヌ。

「滝といえば、滝に全身を打たれる苦行があると耳にしたことがありますわ」
「ああ、滝行だったかな? 東方のどっかの国でやってるとか聞いたことあるけど。何のためにやるんだろうね?」

 そう言ってミレーヌは笑うが、ララはその宝珠のように爛々(らんらん)と輝く瞳をそちらに向けながら、

「ねえ、ミレーヌ。やってみませんこと?」

 そう(たず)ねる。

「やるって、何を?」
「もちろん、滝行ですわ」
「えええッ! 冗談だろうッ!?」

 目を()いて驚くミレーヌ。
 ララはそのキラキラとした純真無垢な瞳で彼女を見上げ、

「やってみましょう。 もしかしたら何かが掴めるかも知れませんわ」

 そう訴えるのだった。
 それは天使の微笑みか、はたまた悪魔の囁きか。

「うう……わかった。やる、やるよッ!!」

 ミレーヌは抗うことが出来ず、すぐに屈してしまうのだった。

「フフフ、ミレーヌならそう言ってくれると信じてましたわ」

 満面の笑みを浮かべるとララはその場に靴を脱ぎ捨て、服を着たまま川の中へと進んでゆく。

「ついさっき体を乾かしたばかりなのに、またそのまま水の中に入るのかい?」
「ええ。一度びしょ濡れになったら何だかもうどうでもよくなりましたわ。それに、服ごと水に濡れるのも結構快感ですわよ」

 そう言って水の中をワンピースドレス姿のまま邁進してゆく少女を見てミレーヌは苦笑し、自分も同じように靴だけを脱ぎ捨て、その後を追うのだった。



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 ララたちがヤンに発勁の教えを請うてから数日が経過した。
 自然と一体になる――
 あまりにも抽象的な目標を前に具体的に何をすれば良いのかわからない二人は、仕事終わりや休日に自然の多い場所に身を置くため、町から一番近い山であるマルロー山へとおもむいていた。しかしそこで特に何をするでもなく、ただその場に寝転がったり空を見上げたりしているだけで時間を潰すだけであった。
「……わかりませんわ」
 |叢《くさむら》に仰向けで寝そべり、ただ流れゆく雲をぼんやり眺めながら、ララはポツリとつぶやく。
「ああ、わからないね……」
 その側で同じように寝転がるミレーヌが同調する。
「自然を感じ、自然と一体になる……。果たして自然の中でただ自堕落に過ごすことが正解なのでしょうか?」
「毎日ここに来てはこうして無為に時を消費する……。このままじゃただのダメ人間になっちまうような気がするよ」
 ため息交じりに思案に暮れる二人だが、結局何が正解なのかはわからないままだ。
「ですが、せっかく二泊の山ごもりを決意したのですから、何かを掴まなければなりませんわね」
 そっと空に手を伸ばし、雲を摘もうと手を握りこむララ。
 このままでは何も変わらないと感じた二人は、ヤンに頼んで二泊三日の山ごもりを決行している最中であった。
 その間、食事は自然にあるものから食材を調達し、夜は|天幕《テント》を立ててその中で過ごす。
 要はキャンプである。
 ぐうぅぅぅぅぅッ!!
 刹那、ララのお腹の虫が空腹を知らせる|調《しらべ》を奏でる。
「ハハハ、大きな音だね。とてもお嬢様とは思えな――」
 その間抜けな音色に思わず吹き出すミレーヌだったが、
 ぐぎゅるるるるるッ!!
 今度は彼女のお腹からさらに大きな|調《しらべ》が奏でられる。
「あら、ミレーヌこそずいぶんと主張の強い腹の虫ですこと。しかも音が少し濁ってますわ。もしかして便秘ですの?」
「すこぶる快便だよッ!!」
 ララの容赦ない口撃に、ミレーヌは思わず絶叫して否定するのだった。
「ともかく、そろそろお昼時のようですわね」
 お腹の空腹具合と太陽の位置からそう察すると、ララたちはゆっくりと体を起こす。
「何はともあれ、腹に何か入れておかないと力が出ないからね。二人で手分けして食材を調達しようか?」
「それではわたくしはお魚を捕まえて参りますわ」
「それじゃアタシは山菜とかキノコとか採って来るよ」
 役割分担が決定したところで、二人はそれぞれ別行動を開始する。
「たしかこちらに川があったはずですわよね」
 ララは、この山に来る時に聞いた川のせせらぎを頼りに木々の間を抜けて行く。
「ありましたわ!」
 森林を抜けた先は清流が流れる河原であり、陽光を受けた小川がキラキラと宝石のような輝きを放っていた。
「フフフ、たくさん泳いでますわね」
 透き通った水面の先には、数えきれないほどの魚の群れがのんびりと遊泳しているのが見える。
 ララは靴をその場に脱ぎ捨て、ゆっくりと川の中に足を入れる。
 まだ秋ではあるが、ひんやりとした冷涼感が直に伝わり、思わず身震いしてしまう。
「さあ、捕まえますわよ」
 川の中ほどまで進んで、そこで下を見下ろす。
 小川ではあるが、渓流が近くにあるために流れはかなり速い。
 ララは流されないように足先に力をこめながら、すぐ側を悠々と泳いでいる魚目掛けて両手を突っ込んだ。
 バシァアアアッ!!
 突き出した手は大きな水飛沫を上げて魚に迫るが、|既《すんで》のところでスルリとかわされ、そのまま逃げられてしまう。
「ああん、惜しいですわッ!」
 ララはイラ立たしげに叫び、思わず地団駄を踏んだ。
 ほんのわずか外しただけだ。次は上手くいくはずだ、と彼女は思った。
 しかし、それから同じように何度も挑戦してみるが、魚を掴むことが出来ない。
 そんな彼女をまるで挑発しているかのように、魚は目の前でわざわざ止まっているのに。
 あと少し。ほんの少し。
 だが、そのわずかな差をどうしても埋めることが出来なかった。
「もう、何でですのッ!!」
 イラ立ちをぶつけるように大きく水を蹴り上げる。
 すると、その拍子に石の上に置いていたもう片方の足がズルっと滑り、
 バッシャアァァァァァンッッッ!!!
 完全にバランスを崩してお尻から倒れこみ、大きな水飛沫を上げてそのまま川の中にダイブしてしまう。
 そんな少女を嘲笑うかのように、魚はなおもその周囲を悠々と泳いでいるのだった。
「きいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッッッ!!!」
 やけになったララはもはや身を潜めることも虚を衝くも諦め、闇雲に追いかけ回すが、当然それで魚を捕まえられるはずもなく、ただただ|切歯扼腕《せっしやくわん》する少女の金切り声が虚しく響き渡るのだった。
「どうしたんだい? ずぶ濡れじゃないか!?」
 一時間ほどして両手いっぱいに食材を抱えて戻って来たミレーヌは、着衣のまま全身水浸しになってガタガタと体を震わせながら帰って来るララを見て一驚する。
「面目次第もございません……お魚、一匹も取れませんでしたわ」
「すぐ火を起こすから!」
 ミレーヌはすぐさま用意していた焚き木をその場にくべて火を起こした。
「ああ、生き返りますわ……」
 焚き火の前に座って暖を取り、ララはようやく落ち着きを取り戻す。
「まったく、ララはムチャしすぎなんだよ」
 採ってきた山菜やキノコを軽く火で|炙《あぶ》りながら、ミレーヌが苦笑する。
 そして、それらに加えて砕いた木の実やベリーなどの果物を木皿に乗せてララに差し出した。
「ほら、ちゃんと食べて体力つけな」
「ありがとうございます」
 ミレーヌも自身の分を盛りつけると、隣に座りようやく食事にありついた。
 ララはそれらを食しながら、ふと感じたことを口にした。
「わたくしは無力ですわ」
「どうしたんだい、いきなり?」
「わたくしひとりでは食材も満足に得られませんでした。たった一回の食事なのに、それを成すためにこれほどまでの労力を必要としなければならないのか、と痛感したしましたわ」
「そうだよね。食材を生産する人がいて、それを運ぶ人がいて、それを商う人がいて、それを料理する人がいる。普段当たり前のように口にしてる食材ひとつ取っても、アタシたちの知らないところでいろんな人が携わっているんだよね」
 ひとつひとつ数えるように指を折りながら、ミレーヌはララの言葉に同調して話を広げる。
「そう考えると、この世に『当たり前』なんてものは存在しないのかも知れませんわね。『当たり前』の一言で片付けようとするのは、きっと|驕《おご》でしかないのでしょうね」
「そうだね。人間はちっぽけでひとりでは生きられない弱い生き物だ。だから群れる。それぞれが足りないところを補い合って、それで上手く社会を形成してくんだ」
「ええ。この自然に比べて人間の何と|眇々《びょうびょう》たるか。それを知れただけでもずぶ濡れになった甲斐があるというものですわ」
 二人はそんな話をしながら自然の恵みに感謝の念を抱き、食事を進めるのだった。
「こちらに滝があるみたいです。行ってみませんこと?」
 昼食を摂り終えると、ララのそんな提案により二人は小川を|遡《さかのぼ》って渓流へと足を運んだ。
 そこには高さ五メートルほどの滝が二つあり、その豊かな水源は止めどなく下流の小川へと注いでいた。
「こうして見ると迫力あるね」
 感嘆の言葉を漏らすミレーヌ。
「滝といえば、滝に全身を打たれる苦行があると耳にしたことがありますわ」
「ああ、滝行だったかな? 東方のどっかの国でやってるとか聞いたことあるけど。何のためにやるんだろうね?」
 そう言ってミレーヌは笑うが、ララはその宝珠のように|爛々《らんらん》と輝く瞳をそちらに向けながら、
「ねえ、ミレーヌ。やってみませんこと?」
 そう|訊《たず》ねる。
「やるって、何を?」
「もちろん、滝行ですわ」
「えええッ! 冗談だろうッ!?」
 目を|剥《む》いて驚くミレーヌ。
 ララはそのキラキラとした純真無垢な瞳で彼女を見上げ、
「やってみましょう。 もしかしたら何かが掴めるかも知れませんわ」
 そう訴えるのだった。
 それは天使の微笑みか、はたまた悪魔の囁きか。
「うう……わかった。やる、やるよッ!!」
 ミレーヌは抗うことが出来ず、すぐに屈してしまうのだった。
「フフフ、ミレーヌならそう言ってくれると信じてましたわ」
 満面の笑みを浮かべるとララはその場に靴を脱ぎ捨て、服を着たまま川の中へと進んでゆく。
「ついさっき体を乾かしたばかりなのに、またそのまま水の中に入るのかい?」
「ええ。一度びしょ濡れになったら何だかもうどうでもよくなりましたわ。それに、服ごと水に濡れるのも結構快感ですわよ」
 そう言って水の中をワンピースドレス姿のまま邁進してゆく少女を見てミレーヌは苦笑し、自分も同じように靴だけを脱ぎ捨て、その後を追うのだった。