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第十八話

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 一つ目の空間、それは熱帯雨林。多くの人類に致命傷を与えうる、毒を持った生物ばかりがこの場に集う、人類の生存にはまず適していない空間。温度も湿度も日本のそれとは雲泥の差。高温多湿に耐性が無い者はダウン必至である。
 この場に送り込まれたのは、『慈愛の使徒』クリークとエヴァであった。
『あらあら、まさか英雄でもない子がママのところにやってきましたかぁ……とはいえ、貴女は武器の匠。加減はしませんよ~?』
「全力上等、加減なんてしたら許さないよ」
 しかし、エヴァが手に持つのは、一本の鍛冶用小槌のみ。対するクリークの持つ武器は、三メートルは優にあろう歪なハンマー。誰がどう見ても、分はクリークにあった。
 エヴァのものは細やかな意匠の施された、実に高価かつ先代からの思いのこもったもの。そこにエヴァの好みと言わんばかりにリボンが結ばれている、実に可愛らしいもの。
 対してクリークのものは、一切の意匠がない、ただ相手を撲殺、あるいは殴殺するためだけのものとして設計された。ただ三メートルかつ自重も中々なもので、通常の人間がまず持てる物ではない。ドライバーの補助がある城対価、怪人となって身体能力を強化しない限り自在に操ることはできない。
『でも……その貧相な小槌じゃあどうしようもできないんじゃあないですか? もしかして、一寸法師顔負けの打ち出の小槌か何かですかぁ~?』
「じゃあ逆に聞こうか、正解(イグザクトリー)……って言ったらどうする?」
 そう言うと、エヴァは側にあった立派な大木を小槌で力強く叩く。
 すると、まるで触手のように蠢き始め、急速に理を超越した変形を繰り返す。そうして即席で出来上がったものは、巨大な複数の腕。まるで千手観音のように、エヴァの周りを取り囲み、武器と盾、両役出来る布陣が出来上がった。
「何も、武器は剣とか弓矢、槍とかだけが武器じゃあない。人類の進化の過程で、原初たる武器の存在をお忘れかな?」
 無数の腕たちは、クリークに対して臨戦態勢を整える。
「『拳』だよ。あるホラーゲーム……確か、サイコブレイクだったかな? そこではブラスナックル……いわゆる拳が最強ってのを知ってね。あらゆる重火器よりも一発当たりのダメージが高い、多少のリスクこそ負うけど……いつの時代も、ロマンってのは心躍るよね」
 腕たちに隠れて指示を出し、一斉にクリークへと奇襲を仕掛ける。
 掴み、殴打、手刀、突き、締め、猫騙しによるスタン。
 無数の腕がそれぞれ自立した、意識外からの攻撃。どんな達人でも、一瞬気を取られ、防御に意識を裂かれる。
「代々受け継がれてきたこの小槌、何でも打てば武器に早変わりする最高の鍛冶用小槌。まるで魔法のようだ、って言われることも多々あるよ」
 しかし、クリークは臆することなく前へと駆けだした。力強い踏み込みは、多少ぬかるんだ地面など意に返すことはない。どんな土壌ですら、強固なスタートブロックと変貌する。
 無数の腕をハンマーで、まるでパンをちぎるように易々と突き進んでいく。
 こぉん、こぉんと等間隔で、屈強な大木に小槌を叩き込み続け、新たな腕を生成するも、それらは軽く壊されていく。
 状況を悟ったエヴァは、ありったけの力で大木に小槌を打ち、自分を覆うほどの一層巨大な腕を生成。
『まさか、ママから逃げられるなんて、思ってないですよねぇ』
 圧倒的な馬鹿力により、腕全てを軽く粉砕。歯向かった人間を殺害すべく、その場に巨大なハンマーを振り下ろす。
 まるで雨林全体がシェイクされるような、一瞬ではあるものの疑似的な地震を引き起こす。人ひとりを殺すには過剰すぎる力であったが、自身のリーダーを小ばかにしていた人間は残らず抹殺する意志、強力すぎる洗脳の力によって全力を振るっていたのだ。
 木を破砕したことによる粉塵が巻き上がる。しかしそれを意に返すことなく、ぐりぐりと追い打ちのように力を籠める。
 鳥や動物たちの恐怖に歪んだ鳴き声が、そこらじゅうで響き渡る。その声に耳を澄ませ、恍惚感に浸った。
『はぁ……やっぱり悲鳴は良いものですねぇ、それが庇護する対象の悲鳴であればより最高ですねぇぇッ……!』
 びくびく、と体を震わせて悦に入るクリーク。巨大なハンマーをその場からずるりと引き上げ、多量の血と肉片があることを確認し、元々の端正で整った顔が盛大に崩れるほど、歪んだ笑みを浮かべる。
 遠くで多くの生物が再び営みを始めたことを確認すると、退散の準備を始めた。
 流石に怪人になったとはいえ、わざわざ英雄を殺すためのフィールドを仕上げた。それにより、怪人ですら無事で済まないほどの生物がうようよいる空間に長居はできない。むしろ、自身の死の危険性が高まる。
 満面の笑みで準備を進める中、木の巨大な根に足が突っかかる。
 首を傾げながら、細かいことを気にすることなく脱出地点へ歩を進める。
 しかし、次第に緑生い茂る場所へと向かう。自身が何かしらのアクションを起こし、そこにはぬかるんだ地面しかないはずなのに。
 自分が力強く歩を進めてきた、確かな道であったはずで、道中の物は踏み壊したかハンマーで砕いたかのどちらか。万が一、踏まない場所が生まれたところで、足跡を示し残すように斑になるはず。
 クリークの額から、大粒の汗が流れる。徐々に冷や汗が混じり始める。息が乱れ始め、自身の心の中に立ち込め始める靄。ただひたすらに、気味が悪かった。
 次第に自身の中の靄を晴らすためにも、辺りの木をなぎ倒すように進み始めた。しかし、まるで茨で構成された道を歩くように、徐々に体中に生傷が生まれ始めた。
 思考はもうまともに役割を果たすことは無い。そこら中に毒草や毒をもつ生物から反感を買ったかのようにゆっくりと襲い始めた。
 最初はただ払い除けるのみ、しかしそれでも襲い来る生物たちに怒り、遠慮なしにハンマーを振るい始める。
 生物の血か、それともクリークの血か。
 それは命を殺め続ける本人ですら分からないまま。
『ママに逆らうの……? たかが自然ごときが?? 私の愛を、受けてさっさとおとなしくなりなさい、なれ……なれったら!!』
 だんだんと穏やかな口調が崩壊し、危うい本性が現れ始める。暴力的で、自己中心的。さらに冷酷無情ときたら、もう救えない。
『黙って言うことを聞け!! 私に逆らうなんて愚行はやめろォォォォッ!!!!』
 樹木が、生物が、自然が、母もどきのクリークに逆らう。ある意味、自然のあるべき形に戻っているような気はする。母は強し、なんて言葉があるが、限度はある。ましてや、誰かの母ですらない出来損ないが、その強い言葉の力の恩恵を受けられるはずもない。
 遠くで、小槌を打つ音がささやかながら聞こえてくる。
 血液が沸騰するほどの憤慨。殺し損ねたことに、目測通り死ななかったことに、自然を味方につけたことに。心の底からの怒号が雨林に響き渡る。
 その声は、もはや新たな獣。言語化など到底できないほどに、歪み切ったエゴの塊が闊歩する。
 遠くから聞こえる、とても微弱な声。しかしその声の主は、完全に獣と化したクリークを嘲笑っていた。
「本ッ当、慢心に呑まれた大馬鹿野郎を小馬鹿にするの、最高。いつだって、戦いは裏の掻き合いなんだよ」
 そう呟いた瞬間、辺りの木が全て剣や槍、斧などの様々な武器へと変化。一斉にクリークへとなだれ込む。まるで開店したて、安売りが自慢のスーパーに駆け込む主婦群のようであった。
 エネルギーの波動を感じ取り、強大なハンマーを二つに増産、ありとあらゆる手段を用いて木でできた武器たちを破砕していく。
 しかし、先ほどと違って限りがないために、徐々に圧され始め剣や槍に貫かれ始めた。
 速度が、質量が、単純な物量が。全ての攻撃が、真正面から立ち向かうクリークに立ちはだかるのだ。数多の武器の攻撃を、何とかして殺していくも、結局は十割の内一割程度しか破砕できずに、ほぼ全ての攻撃を食らっていく。
 徐々に、鮮血が地面に流れていく。しかし加減を知らない大木たちは一向に減る気配を見せない。
 次第に、クリークの中で絶望が芽生え始めていた。あろうことか、馬鹿力を持った英雄でない人間であるはずの存在に、自身が一番嫌っている搦め手かつ正攻法(ぶつりょう)で攻め込まれるこの瞬間。
『神よォォォォッ!! 私をお救い下さァァァァイッ!!!!』
 藁にも縋る思い。しかし、そんな横暴かつ自己中心的な信徒を救う神はどこにもいなかった。何より、この場に神は存在しない。いない神に縋るより、自分でどうにかできるほどの技量と頭脳、そして単純な力を持つべきであったのだ。
 無数の木製武器が、無常にクリークの体を易々と貫いていく。巨大なハンマーを掲げ磔にされた状態となり、戦闘続行不能状態へとなった。
「やあ、神さまの偶像(アイドル)のように、磔になった気分はどうかな?」
 小槌で、椅子のようななだらかな表面へと大木の側を変化させ、そこにどっかりと座り込むエヴァ。その表情は、自分が上と思い込んでいた相手を、無傷かつ完全にノックアウトできたことに対する達成感で満ち溢れていた。
『ふざ……けるなァァァァ!! お前のようなァ……世の中を簡単に変えられると驕り高ぶる英雄に力を貸すコバンザメのようなお前の存在が……穀潰しが一ッ番嫌いなんだよ!!』
「へぇ、穀潰しねえ」
 クリークの根拠のない反論を嘲笑すると、エヴァは磔になった彼女を小槌で優しく打つ。
 すると、次第に甘ったるい香りが辺りを包み込みだす。生物たちが、目を血走らせてこちらに近づいてくる。たとえ怪人体とは言え、襲われたらひとたまりではない。この時ばかりは、クリークの容赦のなさを心底自分自身で恨んだ。
「今ね、この木たちのポテンシャルを引き出してあげたんだ。ま、ただそこらじゅうの動物たちが好む香り、味になったって言えば話は早いかな」
 頭から血の気が引いた。それと同時に正常な思考は出来なくなっていた。クリークの中にある強固なプライドが、洗脳によって齎された不屈の心が、まるで長細いチョコ菓子を圧し折るかのように折れてしまった。
『助けてェェェェェッ!! お願いじます!! 許じでくだざい!! 靴でも何でも舐めます、性奴隷にでも、便器にでもじでいいがらァァッ、この私めを助けでぐだざい!!!!』
 涙や鼻水、汗やら血をこれでもかと垂らし、無様に命乞いするクリーク。己のプライドをかなぐり捨てても、生きたいという原初の願いは捨てられなかったのだ。
 エヴァは迫りくる生物でごった返すこの状況下、クリークの頬に優しく手を差し伸べ、慈愛の籠もった微笑で言い聞かせた。まるで、聖母のように。

「ごめんね、私の大好きな人が助けたいと願った、あのシスターを……完膚なきまで傷つけた、お前のような非情な奴(ファッキンビッチ)にかける情なんてマクロも無いんだ」

 エヴァひとり、子供が棒きれで遊ぶ時のように、小槌を振り回しながら出口へと辿り着く。最後、華奢な中指を突き立てながら笑顔でこの世界を去っていった。
 ひとり、逃げられない状況下でせめて、ハンマーを振るおうと最後の悪あがきを試みたクリーク。
 しかし、歪なハンマーは誰かの小槌のせいか、ドロドロの鉄となり溶け始めていた。無論、鉄の融点は約千五百度。そのマグマに似た液体に身を焼かれ、言語化など到底できないほどの断末魔を上げる。
 そして、直立不動のまま終わりを待つばかりのクリーク。最後の最後、潰れた喉で懇願するように助けを求めた。
 すると、生物たちはなぜかそこに長がいるように後ずさりしていった。首を垂れ、崇めるようにあたりを取り囲む。
 しかし違和感しか残らないのは、その状況であった。溶けた鉄も、肉体に刺さっていたはずの木製武器たちも、初めから何もなかったかのように消え失せていたのだ。
 森の騒ぎも、初めから何もなかったかのように、静かなものであった。動物たちは何事かと様子こそ見ているものの、多少木が叩き壊されていること以外は、多少物騒な、何の変哲もない熱帯雨林である。
 あるのは、ただところどころ出血し、ドライバーが完全破壊された影響で変身解除した、そして白目を剥ききって泡を吹いたクリークだけである。
「……幻云々を見せる煙玉っての? 軽く作ってみたらこんなに効果があるとは思わなんだなあこれ。日本で言う麻薬効果あるんじゃあないか?」
 クリークの側にいたのは、この世界を去ったはずの、呆れ顔のエヴァ。遠巻きに状況を観察していたら、勝手に精神崩壊を起こして自滅したため、獣除けの香りを漂わせ顔をのぞかせたのだ。
 煙玉を投げた瞬間は、他でもないハンマーでエヴァを潰したと慢心したタイミング。変に甘ったるい香りが何よりもの証拠であったのだ。
 顔を乱雑に掴み、ぐい、と自分の方へ向ける。クリークの顔は、とてもじゃあないがそういった癖の人間以外には目も当てられない。端正な顔が見るも無残な気絶顔と化していたのだ。
「……本当なら、女であったとしてもお前を見捨てたかったさ。でも、そうしたら悲しむ人がいる。その人は、私の大切な人。私はあの子を泣かせたくない、だからこうした」
 小鎚で磔状態を解除し、不本意ながらも肩を貸すエヴァ。脚だけを引きずる形で世界から運び出す。多くの生物たちは道を譲り、さながら王の道が出来上がる。どこからか間抜けな叫び声が上がり、びくついたものの、その声の主に心当たりがあったために、深く思考することはやめた。
「ま、せいぜい生きて罪を償いな。もし多少性根がまともになってこっち側につくんなら……武器の一本ぐらいなら、タダで見繕ってあげるよ。両親から引き継いだ『武器の匠』の名に懸けてね」
 第一回戦、『慈愛の使徒』クリークVS『武器の匠』エヴァ・クリストフ。勝者はエヴァ、しかもエヴァ自身一切の傷がつくことのない、文字通りの圧勝であった。


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 一つ目の空間、それは熱帯雨林。多くの人類に致命傷を与えうる、毒を持った生物ばかりがこの場に集う、人類の生存にはまず適していない空間。温度も湿度も日本のそれとは雲泥の差。高温多湿に耐性が無い者はダウン必至である。
 この場に送り込まれたのは、『慈愛の使徒』クリークとエヴァであった。
『あらあら、まさか英雄でもない子がママのところにやってきましたかぁ……とはいえ、貴女は武器の匠。加減はしませんよ~?』
「全力上等、加減なんてしたら許さないよ」
 しかし、エヴァが手に持つのは、一本の鍛冶用小槌のみ。対するクリークの持つ武器は、三メートルは優にあろう歪なハンマー。誰がどう見ても、分はクリークにあった。
 エヴァのものは細やかな意匠の施された、実に高価かつ先代からの思いのこもったもの。そこにエヴァの好みと言わんばかりにリボンが結ばれている、実に可愛らしいもの。
 対してクリークのものは、一切の意匠がない、ただ相手を撲殺、あるいは殴殺するためだけのものとして設計された。ただ三メートルかつ自重も中々なもので、通常の人間がまず持てる物ではない。ドライバーの補助がある城対価、怪人となって身体能力を強化しない限り自在に操ることはできない。
『でも……その貧相な小槌じゃあどうしようもできないんじゃあないですか? もしかして、一寸法師顔負けの打ち出の小槌か何かですかぁ~?』
「じゃあ逆に聞こうか、|正解《イグザクトリー》……って言ったらどうする?」
 そう言うと、エヴァは側にあった立派な大木を小槌で力強く叩く。
 すると、まるで触手のように蠢き始め、急速に理を超越した変形を繰り返す。そうして即席で出来上がったものは、巨大な複数の腕。まるで千手観音のように、エヴァの周りを取り囲み、武器と盾、両役出来る布陣が出来上がった。
「何も、武器は剣とか弓矢、槍とかだけが武器じゃあない。人類の進化の過程で、原初たる武器の存在をお忘れかな?」
 無数の腕たちは、クリークに対して臨戦態勢を整える。
「『拳』だよ。あるホラーゲーム……確か、サイコブレイクだったかな? そこではブラスナックル……いわゆる拳が最強ってのを知ってね。あらゆる重火器よりも一発当たりのダメージが高い、多少のリスクこそ負うけど……いつの時代も、ロマンってのは心躍るよね」
 腕たちに隠れて指示を出し、一斉にクリークへと奇襲を仕掛ける。
 掴み、殴打、手刀、突き、締め、猫騙しによるスタン。
 無数の腕がそれぞれ自立した、意識外からの攻撃。どんな達人でも、一瞬気を取られ、防御に意識を裂かれる。
「代々受け継がれてきたこの小槌、何でも打てば武器に早変わりする最高の鍛冶用小槌。まるで魔法のようだ、って言われることも多々あるよ」
 しかし、クリークは臆することなく前へと駆けだした。力強い踏み込みは、多少ぬかるんだ地面など意に返すことはない。どんな土壌ですら、強固なスタートブロックと変貌する。
 無数の腕をハンマーで、まるでパンをちぎるように易々と突き進んでいく。
 こぉん、こぉんと等間隔で、屈強な大木に小槌を叩き込み続け、新たな腕を生成するも、それらは軽く壊されていく。
 状況を悟ったエヴァは、ありったけの力で大木に小槌を打ち、自分を覆うほどの一層巨大な腕を生成。
『まさか、ママから逃げられるなんて、思ってないですよねぇ』
 圧倒的な馬鹿力により、腕全てを軽く粉砕。歯向かった人間を殺害すべく、その場に巨大なハンマーを振り下ろす。
 まるで雨林全体がシェイクされるような、一瞬ではあるものの疑似的な地震を引き起こす。人ひとりを殺すには過剰すぎる力であったが、自身のリーダーを小ばかにしていた人間は残らず抹殺する意志、強力すぎる洗脳の力によって全力を振るっていたのだ。
 木を破砕したことによる粉塵が巻き上がる。しかしそれを意に返すことなく、ぐりぐりと追い打ちのように力を籠める。
 鳥や動物たちの恐怖に歪んだ鳴き声が、そこらじゅうで響き渡る。その声に耳を澄ませ、恍惚感に浸った。
『はぁ……やっぱり悲鳴は良いものですねぇ、それが庇護する対象の悲鳴であればより最高ですねぇぇッ……!』
 びくびく、と体を震わせて悦に入るクリーク。巨大なハンマーをその場からずるりと引き上げ、多量の血と肉片があることを確認し、元々の端正で整った顔が盛大に崩れるほど、歪んだ笑みを浮かべる。
 遠くで多くの生物が再び営みを始めたことを確認すると、退散の準備を始めた。
 流石に怪人になったとはいえ、わざわざ英雄を殺すためのフィールドを仕上げた。それにより、怪人ですら無事で済まないほどの生物がうようよいる空間に長居はできない。むしろ、自身の死の危険性が高まる。
 満面の笑みで準備を進める中、木の巨大な根に足が突っかかる。
 首を傾げながら、細かいことを気にすることなく脱出地点へ歩を進める。
 しかし、次第に緑生い茂る場所へと向かう。自身が何かしらのアクションを起こし、そこにはぬかるんだ地面しかないはずなのに。
 自分が力強く歩を進めてきた、確かな道であったはずで、道中の物は踏み壊したかハンマーで砕いたかのどちらか。万が一、踏まない場所が生まれたところで、足跡を示し残すように斑になるはず。
 クリークの額から、大粒の汗が流れる。徐々に冷や汗が混じり始める。息が乱れ始め、自身の心の中に立ち込め始める靄。ただひたすらに、気味が悪かった。
 次第に自身の中の靄を晴らすためにも、辺りの木をなぎ倒すように進み始めた。しかし、まるで茨で構成された道を歩くように、徐々に体中に生傷が生まれ始めた。
 思考はもうまともに役割を果たすことは無い。そこら中に毒草や毒をもつ生物から反感を買ったかのようにゆっくりと襲い始めた。
 最初はただ払い除けるのみ、しかしそれでも襲い来る生物たちに怒り、遠慮なしにハンマーを振るい始める。
 生物の血か、それともクリークの血か。
 それは命を殺め続ける本人ですら分からないまま。
『ママに逆らうの……? たかが自然ごときが?? 私の愛を、受けてさっさとおとなしくなりなさい、なれ……なれったら!!』
 だんだんと穏やかな口調が崩壊し、危うい本性が現れ始める。暴力的で、自己中心的。さらに冷酷無情ときたら、もう救えない。
『黙って言うことを聞け!! 私に逆らうなんて愚行はやめろォォォォッ!!!!』
 樹木が、生物が、自然が、母もどきのクリークに逆らう。ある意味、自然のあるべき形に戻っているような気はする。母は強し、なんて言葉があるが、限度はある。ましてや、誰かの母ですらない出来損ないが、その強い言葉の力の恩恵を受けられるはずもない。
 遠くで、小槌を打つ音がささやかながら聞こえてくる。
 血液が沸騰するほどの憤慨。殺し損ねたことに、目測通り死ななかったことに、自然を味方につけたことに。心の底からの怒号が雨林に響き渡る。
 その声は、もはや新たな獣。言語化など到底できないほどに、歪み切ったエゴの塊が闊歩する。
 遠くから聞こえる、とても微弱な声。しかしその声の主は、完全に獣と化したクリークを嘲笑っていた。
「本ッ当、慢心に呑まれた大馬鹿野郎を小馬鹿にするの、最高。いつだって、戦いは裏の掻き合いなんだよ」
 そう呟いた瞬間、辺りの木が全て剣や槍、斧などの様々な武器へと変化。一斉にクリークへとなだれ込む。まるで開店したて、安売りが自慢のスーパーに駆け込む主婦群のようであった。
 エネルギーの波動を感じ取り、強大なハンマーを二つに増産、ありとあらゆる手段を用いて木でできた武器たちを破砕していく。
 しかし、先ほどと違って限りがないために、徐々に圧され始め剣や槍に貫かれ始めた。
 速度が、質量が、単純な物量が。全ての攻撃が、真正面から立ち向かうクリークに立ちはだかるのだ。数多の武器の攻撃を、何とかして殺していくも、結局は十割の内一割程度しか破砕できずに、ほぼ全ての攻撃を食らっていく。
 徐々に、鮮血が地面に流れていく。しかし加減を知らない大木たちは一向に減る気配を見せない。
 次第に、クリークの中で絶望が芽生え始めていた。あろうことか、馬鹿力を持った英雄でない人間であるはずの存在に、自身が一番嫌っている搦め手かつ|正攻法《ぶつりょう》で攻め込まれるこの瞬間。
『神よォォォォッ!! 私をお救い下さァァァァイッ!!!!』
 藁にも縋る思い。しかし、そんな横暴かつ自己中心的な信徒を救う神はどこにもいなかった。何より、この場に神は存在しない。いない神に縋るより、自分でどうにかできるほどの技量と頭脳、そして単純な力を持つべきであったのだ。
 無数の木製武器が、無常にクリークの体を易々と貫いていく。巨大なハンマーを掲げ磔にされた状態となり、戦闘続行不能状態へとなった。
「やあ、神さまの|偶像《アイドル》のように、磔になった気分はどうかな?」
 小槌で、椅子のようななだらかな表面へと大木の側を変化させ、そこにどっかりと座り込むエヴァ。その表情は、自分が上と思い込んでいた相手を、無傷かつ完全にノックアウトできたことに対する達成感で満ち溢れていた。
『ふざ……けるなァァァァ!! お前のようなァ……世の中を簡単に変えられると驕り高ぶる英雄に力を貸すコバンザメのようなお前の存在が……穀潰しが一ッ番嫌いなんだよ!!』
「へぇ、穀潰しねえ」
 クリークの根拠のない反論を嘲笑すると、エヴァは磔になった彼女を小槌で優しく打つ。
 すると、次第に甘ったるい香りが辺りを包み込みだす。生物たちが、目を血走らせてこちらに近づいてくる。たとえ怪人体とは言え、襲われたらひとたまりではない。この時ばかりは、クリークの容赦のなさを心底自分自身で恨んだ。
「今ね、この木たちのポテンシャルを引き出してあげたんだ。ま、ただそこらじゅうの動物たちが好む香り、味になったって言えば話は早いかな」
 頭から血の気が引いた。それと同時に正常な思考は出来なくなっていた。クリークの中にある強固なプライドが、洗脳によって齎された不屈の心が、まるで長細いチョコ菓子を圧し折るかのように折れてしまった。
『助けてェェェェェッ!! お願いじます!! 許じでくだざい!! 靴でも何でも舐めます、性奴隷にでも、便器にでもじでいいがらァァッ、この私めを助けでぐだざい!!!!』
 涙や鼻水、汗やら血をこれでもかと垂らし、無様に命乞いするクリーク。己のプライドをかなぐり捨てても、生きたいという原初の願いは捨てられなかったのだ。
 エヴァは迫りくる生物でごった返すこの状況下、クリークの頬に優しく手を差し伸べ、慈愛の籠もった微笑で言い聞かせた。まるで、聖母のように。
「ごめんね、私の大好きな人が助けたいと願った、あのシスターを……完膚なきまで傷つけた、お前のような|非情な奴《ファッキンビッチ》にかける情なんてマクロも無いんだ」
 エヴァひとり、子供が棒きれで遊ぶ時のように、小槌を振り回しながら出口へと辿り着く。最後、華奢な中指を突き立てながら笑顔でこの世界を去っていった。
 ひとり、逃げられない状況下でせめて、ハンマーを振るおうと最後の悪あがきを試みたクリーク。
 しかし、歪なハンマーは誰かの小槌のせいか、ドロドロの鉄となり溶け始めていた。無論、鉄の融点は約千五百度。そのマグマに似た液体に身を焼かれ、言語化など到底できないほどの断末魔を上げる。
 そして、直立不動のまま終わりを待つばかりのクリーク。最後の最後、潰れた喉で懇願するように助けを求めた。
 すると、生物たちはなぜかそこに長がいるように後ずさりしていった。首を垂れ、崇めるようにあたりを取り囲む。
 しかし違和感しか残らないのは、その状況であった。溶けた鉄も、肉体に刺さっていたはずの木製武器たちも、初めから何もなかったかのように消え失せていたのだ。
 森の騒ぎも、初めから何もなかったかのように、静かなものであった。動物たちは何事かと様子こそ見ているものの、多少木が叩き壊されていること以外は、多少物騒な、何の変哲もない熱帯雨林である。
 あるのは、ただところどころ出血し、ドライバーが完全破壊された影響で変身解除した、そして白目を剥ききって泡を吹いたクリークだけである。
「……幻云々を見せる煙玉っての? 軽く作ってみたらこんなに効果があるとは思わなんだなあこれ。日本で言う麻薬効果あるんじゃあないか?」
 クリークの側にいたのは、この世界を去ったはずの、呆れ顔のエヴァ。遠巻きに状況を観察していたら、勝手に精神崩壊を起こして自滅したため、獣除けの香りを漂わせ顔をのぞかせたのだ。
 煙玉を投げた瞬間は、他でもないハンマーでエヴァを潰したと慢心したタイミング。変に甘ったるい香りが何よりもの証拠であったのだ。
 顔を乱雑に掴み、ぐい、と自分の方へ向ける。クリークの顔は、とてもじゃあないがそういった癖の人間以外には目も当てられない。端正な顔が見るも無残な気絶顔と化していたのだ。
「……本当なら、女であったとしてもお前を見捨てたかったさ。でも、そうしたら悲しむ人がいる。その人は、私の大切な人。私はあの子を泣かせたくない、だからこうした」
 小鎚で磔状態を解除し、不本意ながらも肩を貸すエヴァ。脚だけを引きずる形で世界から運び出す。多くの生物たちは道を譲り、さながら王の道が出来上がる。どこからか間抜けな叫び声が上がり、びくついたものの、その声の主に心当たりがあったために、深く思考することはやめた。
「ま、せいぜい生きて罪を償いな。もし多少性根がまともになってこっち側につくんなら……武器の一本ぐらいなら、タダで見繕ってあげるよ。両親から引き継いだ『武器の匠』の名に懸けてね」
 第一回戦、『慈愛の使徒』クリークVS『武器の匠』エヴァ・クリストフ。勝者はエヴァ、しかもエヴァ自身一切の傷がつくことのない、文字通りの圧勝であった。