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惨めでも、あなたがいるから

ー/ー



 私は笑っている四人を置いて手洗い場に向かい、予鈴が鳴って静かになった廊下を力無く歩いていた。本当は早く授業に戻るべく足を早めないといけないけど、そんな気が起きなかった。どうせ授業なんてとっくに理解している内容だし、これで減点されようとテストで点を取ればいい。

 手洗い場に立つと、手に溜めた流水で顔を擦り、赤いインクを落としていく。

 先生の助けに期待なんかしない。

 いつもいじめてくる五人組は私を貶すときに地味やガリ勉という言葉を使いたがる。私が地味? 化粧をしていない? 私は学生の本文である勉強に専念しているだけ。

 提出物などの最低限の勉強すらままならないあの人たちは、この程度のことでも珍しいみたいだけど。

 こんな風にくだらない理由で貶められた時は、いつも去年三月の不運を呪う。練習として受けた滑り止めの私立には合格していたのだ。
 模試の判定を見れば志望校の合格は決まったようなものだったし、落ちた時のことなんか予想もしなかった。

 しかし、不運にも志望校の受験前日に高熱を出した。
 朝までは大丈夫だったのに、試験中急に顔が熱くなって、一つ目の科目が終わったところで別室受験を申し出た。途中でやめても追試が出来ない可能性があったから、絶対この学校に行きたかった私は試験を受け続けた。

 頭が回らず、結果は不合格。

 滑り止めの私立には受かっていたけれど、微妙な私立に高い学費を払うくらいならどこでもいいから公立で頑張りなさいと、定員割れした高校から選ぶしかなかった。

 二次募集の中で、少し家から離れているものの評判が一番いい高校を選んだ。進学率なんて五十歩百歩。なら出来るだけ生徒の質がいいところにしよう。そう思って中学の先生の勧めに従い、ここに決めた。

 優しい子が多いから、あなたも精神面での勉強になるかもしれないわね。

 嘘つき。

 先生の言った言葉は全て嘘だった。

 入学してしばらくすると、教室で言われたことがきっかけで高校生活は惨めなものに変わった。

「うわ、すごいブス」

 誰かがつかつかと机に寄ってきたと思ったら、挨拶よりも先に単純な罵倒を投げてきた。期待に背筋を伸ばして座る私の顔を覗き込み、間抜けな笑顔を晒していた、海堀。

 そして血のにおいを嗅ぎつけたサメのように寄ってきて、海堀の単純な罵倒に理由をつけてきたのが雪田だ。

 何が楽しくてそんな長いスカートとダサいメガネにしてるの?

 よくある銀のフレームをダサいと言い切る世間知らず。巷に溢れる同色同型のメガネは何なの?
 形も自分の輪郭に合わせたというのに。

 それに同調したリーダー格の朝霧、取り巻きの窪田、一井。

 やつらに目をつけられた途端、入学当初は話していた女子達も離れていった。

 男子は朝霧や一井のようには可愛くない私を助けない。彼らの最終目標は可愛い彼女を作ること。その目標に一直線で、どうでもいい女子に優しくする暇などないのだ。

 本当ならこんな掃き溜めのような学校に来るはずではなかった。

 だから終業のSHRが終われば、こんなどうしようもない高校から早々に逃げ出し塾に向かう。

 二度の失敗は許されないから、高校のことを忘れて勉強に打ち込む。

 塾が終わると、私が一番穏やかに過ごせる時間が来る。

 暗くなった公園。街灯の下で待っていると、彼がゆっくりと歩いてくる。
 人がほとんどいないはずの時間とはいえ、少し周囲が気になるのか緩やかに見回す。

「沙良木」

 街灯に照らされると、艶のあるブロンドの長髪が見える。右側は特に長く、首に寄り添ってから肩の上に乗っかっていた。

「お疲れ様、光起(みつき)

 学校では呼ばれない名前で呼ばれ、特別な時間を実感する。
 沙良木は近くの高校に通っていて、元は同じ塾に通っていた。

 首を気にして手をかける癖。
 いつものことだけど何かを感じ取り、背伸びして抱きしめる。

 あえて右側に顔を乗せる。

「光起はやっぱり気にならないんだね」

「当たり前よ。だって沙良木の全てが好きなんだから」

 沙良木には首と顔の側面にかけて傷跡があった。生まれた時からその部分の皮膚に異常があり、切除したものの完全に無くすことはできなかった。
 それを気にして髪で隠し、外で会うときは夜を望んでいる。

 もう少しこうしていたかったけど、疲れるからかかとをすとんと下ろした。

 沙良木は白い肌を染めて笑っていたけど、ふと、何かに気付いたように笑顔が消えた。
 手を伸ばすと、私の胸元の汚れに触れる。

「これ、インク……」

 今朝の赤いインクだ。つい忘れていたけど、沙良木は不思議そうに見つめている。賢い沙良木のことだ。疑いに変わってもおかしくない。

「ああ、これ。美術の授業でうっかりね。絵の具と違ってじわじわ広がるのが嫌だわ……」

 汚れを撫で付けながらため息をついてみせる。

「へぇ……インクを使うなんて珍しい」

「うん。でも滑らかだし筆より細い線が描けるから便利なものよ」

 気付かれてはいけない。
 沙良木は傷を治す手術代を稼ぐためにバイトをしている。それでも進学校で塾にも通っているから長時間働くことはできない。
 求人サイトを探す中で一番条件が良く、すぐに電話をかけたというバイト先は、私をいじめるあいつらの仲間が経営しているのだ。

 沙良木のことだから本当のことを知ったら私を助けようとしてくれるだろう。でもあいつらは卑怯だから、経営者のあの男にあることないこと話してクビにさせかねない。

 ピアスを両耳に複数開け、お世辞にも品がいいとは言えない男だ。
 学校で朝霧があの男と電話しているところを何度も見た。授業中ということを知りつつ止めないところから、常識がないとわかる。

 沙良木は昔顔と首の傷が原因でいじめられていたのだ。それを人権意識のかけらもないあいつらに知られれば何をされるかわからない。
 いじめが高校生になってやっと終わったのに、沙良木をまた苦しませるわけにはいかないのだ。

 惨めでも、あんなクズには言わせとけばいい。沙良木が無事なら何でもいいんだ……


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 私は笑っている四人を置いて手洗い場に向かい、予鈴が鳴って静かになった廊下を力無く歩いていた。本当は早く授業に戻るべく足を早めないといけないけど、そんな気が起きなかった。どうせ授業なんてとっくに理解している内容だし、これで減点されようとテストで点を取ればいい。
 手洗い場に立つと、手に溜めた流水で顔を擦り、赤いインクを落としていく。
 先生の助けに期待なんかしない。
 いつもいじめてくる五人組は私を貶すときに地味やガリ勉という言葉を使いたがる。私が地味? 化粧をしていない? 私は学生の本文である勉強に専念しているだけ。
 提出物などの最低限の勉強すらままならないあの人たちは、この程度のことでも珍しいみたいだけど。
 こんな風にくだらない理由で貶められた時は、いつも去年三月の不運を呪う。練習として受けた滑り止めの私立には合格していたのだ。
 模試の判定を見れば志望校の合格は決まったようなものだったし、落ちた時のことなんか予想もしなかった。
 しかし、不運にも志望校の受験前日に高熱を出した。
 朝までは大丈夫だったのに、試験中急に顔が熱くなって、一つ目の科目が終わったところで別室受験を申し出た。途中でやめても追試が出来ない可能性があったから、絶対この学校に行きたかった私は試験を受け続けた。
 頭が回らず、結果は不合格。
 滑り止めの私立には受かっていたけれど、微妙な私立に高い学費を払うくらいならどこでもいいから公立で頑張りなさいと、定員割れした高校から選ぶしかなかった。
 二次募集の中で、少し家から離れているものの評判が一番いい高校を選んだ。進学率なんて五十歩百歩。なら出来るだけ生徒の質がいいところにしよう。そう思って中学の先生の勧めに従い、ここに決めた。
 優しい子が多いから、あなたも精神面での勉強になるかもしれないわね。
 嘘つき。
 先生の言った言葉は全て嘘だった。
 入学してしばらくすると、教室で言われたことがきっかけで高校生活は惨めなものに変わった。
「うわ、すごいブス」
 誰かがつかつかと机に寄ってきたと思ったら、挨拶よりも先に単純な罵倒を投げてきた。期待に背筋を伸ばして座る私の顔を覗き込み、間抜けな笑顔を晒していた、海堀。
 そして血のにおいを嗅ぎつけたサメのように寄ってきて、海堀の単純な罵倒に理由をつけてきたのが雪田だ。
 何が楽しくてそんな長いスカートとダサいメガネにしてるの?
 よくある銀のフレームをダサいと言い切る世間知らず。巷に溢れる同色同型のメガネは何なの?
 形も自分の輪郭に合わせたというのに。
 それに同調したリーダー格の朝霧、取り巻きの窪田、一井。
 やつらに目をつけられた途端、入学当初は話していた女子達も離れていった。
 男子は朝霧や一井のようには可愛くない私を助けない。彼らの最終目標は可愛い彼女を作ること。その目標に一直線で、どうでもいい女子に優しくする暇などないのだ。
 本当ならこんな掃き溜めのような学校に来るはずではなかった。
 だから終業のSHRが終われば、こんなどうしようもない高校から早々に逃げ出し塾に向かう。
 二度の失敗は許されないから、高校のことを忘れて勉強に打ち込む。
 塾が終わると、私が一番穏やかに過ごせる時間が来る。
 暗くなった公園。街灯の下で待っていると、彼がゆっくりと歩いてくる。
 人がほとんどいないはずの時間とはいえ、少し周囲が気になるのか緩やかに見回す。
「沙良木」
 街灯に照らされると、艶のあるブロンドの長髪が見える。右側は特に長く、首に寄り添ってから肩の上に乗っかっていた。
「お疲れ様、|光起《みつき》」
 学校では呼ばれない名前で呼ばれ、特別な時間を実感する。
 沙良木は近くの高校に通っていて、元は同じ塾に通っていた。
 首を気にして手をかける癖。
 いつものことだけど何かを感じ取り、背伸びして抱きしめる。
 あえて右側に顔を乗せる。
「光起はやっぱり気にならないんだね」
「当たり前よ。だって沙良木の全てが好きなんだから」
 沙良木には首と顔の側面にかけて傷跡があった。生まれた時からその部分の皮膚に異常があり、切除したものの完全に無くすことはできなかった。
 それを気にして髪で隠し、外で会うときは夜を望んでいる。
 もう少しこうしていたかったけど、疲れるからかかとをすとんと下ろした。
 沙良木は白い肌を染めて笑っていたけど、ふと、何かに気付いたように笑顔が消えた。
 手を伸ばすと、私の胸元の汚れに触れる。
「これ、インク……」
 今朝の赤いインクだ。つい忘れていたけど、沙良木は不思議そうに見つめている。賢い沙良木のことだ。疑いに変わってもおかしくない。
「ああ、これ。美術の授業でうっかりね。絵の具と違ってじわじわ広がるのが嫌だわ……」
 汚れを撫で付けながらため息をついてみせる。
「へぇ……インクを使うなんて珍しい」
「うん。でも滑らかだし筆より細い線が描けるから便利なものよ」
 気付かれてはいけない。
 沙良木は傷を治す手術代を稼ぐためにバイトをしている。それでも進学校で塾にも通っているから長時間働くことはできない。
 求人サイトを探す中で一番条件が良く、すぐに電話をかけたというバイト先は、私をいじめるあいつらの仲間が経営しているのだ。
 沙良木のことだから本当のことを知ったら私を助けようとしてくれるだろう。でもあいつらは卑怯だから、経営者のあの男にあることないこと話してクビにさせかねない。
 ピアスを両耳に複数開け、お世辞にも品がいいとは言えない男だ。
 学校で朝霧があの男と電話しているところを何度も見た。授業中ということを知りつつ止めないところから、常識がないとわかる。
 沙良木は昔顔と首の傷が原因でいじめられていたのだ。それを人権意識のかけらもないあいつらに知られれば何をされるかわからない。
 いじめが高校生になってやっと終わったのに、沙良木をまた苦しませるわけにはいかないのだ。
 惨めでも、あんなクズには言わせとけばいい。沙良木が無事なら何でもいいんだ……