第6話 奴隷令嬢の異変
ー/ー
「だから、そこは違うと申したでしょう!」
館の廊下に女性の金切り声が響き渡る。
その元凶は、豊かな金髪に大きな碧い瞳を持つ少女だった。
「手すりなどを拭く時はこちらの布。陶器を拭く時はこちらの荒目布。真鍮製の物を拭く時はこちらの専用クロス。もう何度も説明したはずです」
「そんないっぺんには覚えきれませんわ! 全部同じもので拭いてしまえばよろしいのではなくて?」
「それぞれの用途に合わせて使わなければならないのです!!」
その少女――ララの不満は、中年女性の一喝によってねじ伏せられてしまう。
「ううう……。たかが掃除と侮ってましたが、まさかこんなに大変だなんて思いもよりませんでしたわ」
「当たり前です! 何を成すにしても容易に終えられる仕事など存在しません。もしも苦労も疲労も無い仕事があったとしたら、それはその者が何も成していないだけです」
「き、肝に銘じますわ……」
ウンザリとした顔で、ララは仕事を再開する。
館の雑務全般を担う家令の女性と少女のやり取りはもはや日常茶飯事となっており、他の者たちはもう気にすることもなく作業に没頭している。
「ララさん。アナタほど家令である私に食ってかかってくる者はおりませんでしたよ」
「こんな手のかかる奴隷でまったく申し訳ないですわね」
「いいえ、やりがいが増えてとてもよろこばしいことです」
「え?」
ララは皮肉で言ったのだが、家令は笑ってそう答えるのだった。
「はぁ……今日も疲れましたわ……」
夜遅くになってすべての作業が終了し、ララたち女中はようやく食事にありついた。
「ハハハ、今日もこってりしぼられてたね」
向かいの席に腰掛けるミレーヌが笑う。
「ホントにあの家令は、仕事熱心なのはわかりますが、融通が利かなすぎですわ」
「いやぁ、アタシは何となく家令の方に同情しちまうけどね」
かつてララのワガママに振り回されたことのある彼女は、苦笑を禁じ得なかった。
「朝早くに起こされて、ほぼ休みなくこんな遅くまで働かされ、寝床は茣蓙を敷いただけの硬い床の上で雑魚寝……。それに、食事も不味い上にこれっぽっちだし……。奴隷がこれほどきびしいものだとは知りませんでしたわ」
小さなパンがひとつと少量の干し肉。そして、ほぼ味を感じない野菜のスープを食しながら、ララは辟易とした口調で愚痴をもらす。
「まあ、これが普通さ。場所によってはもっとヒドい待遇を強いられているらしいからね」
「女将さんがいかに人道的だったか、身に染みてわかりましたわ……」
「もう女将じゃないけどね」
そう言ってけらけらと笑う。
「……ごめんなさい」
不意に顔を曇らせてララがポツリとこぼす。
「急にどうしたんだい?」
「わたくしが女将さんの制止を聞かなかったばかりに、こんなことになってしまって……」
この間の事件のことを思い出し、沈痛の面持ちで謝意を述べる。
あれから――
ララたちが領主の子息であるエリクを殺害した容疑で捕縛された後、二人は簡易的な尋問を受けた。
そこでありのままを話したが、いくら弁明したところで相手は権力者だ。下級貴族の子息が被害者とはいえ、身分の低い彼女たちは当然縛り首に処されるのが通例であった。
しかし、二人は奴隷として領主に仕えることで許されたのだ。
寛大とも言える裁きの裏には、エリクが領主でも制御出来ない腫れ物的な存在であったことが大きく作用しているようであったが、いずれにしても二人は極刑を免れたのだった。
「まだ気にしてたのかい? まあ、ムリもないけどさ……」
ミレーヌは陰気に沈む少女の手をそっと握り、
「ララ。たしかにあの時は不幸な結果になっちまった。アンタが思い悩むのも仕方がないと思う。だけどね、少なくともアタシは感謝してる。何も出来なくてただ我慢してればイイなんて言って、ホントはすべてを諦めてたアタシに勇気を与えてくれたんだから」
慈愛の瞳でそう告げる。
「女将さん……。ありがとうございます」
「だから、アタシはもう女将じゃないって」
「いいえ、わたくしにとっては女将さんはどこに行っても女将さんですわ」
ララは温もりを与えてくれた手を握り返し、そう伝えるのだった。
「またアナタですか、ララさん」
翌日――
やはりララは慣れない作業に苦戦し、失敗していた。
「いいえ、わたくしはララという名前では――」
「言い訳は無用です」
家令は少女の言葉を遮り、
「ベッドメイクの度にシーツをしわくちゃにされてしまっては本末転倒です。もう一度別室で練習し直してください」
静かだが威厳のある声で諭す。
「言い訳なんかではありませんのに……」
「何か言いましたか?」
「いいえ、何でもありませんわッ!」
ララは不貞腐れて叫んだ。
と、その時だった――
「奥方様がお戻りです!!」
玄関先の清掃をしていた女中が大きな声で告げる。
すると、今まで作業に没頭していた館のすべての者が駆け出し、廊下の両端に列を成して立ち並ぶ。
「一体何ですの?」
「奥方様が帰られたのです。さあ、アナタも並んでお迎えするのです」
家令の言葉を受けて、ララも列に加わり直立する。
そして館の中にひとりの女性が従者と共に入って来ると、
「「「おかえりなさいませッ!!」」」
家令たちは一斉に腰をこごめて合奏のように挨拶を向ける。
「あ、あら? ……お、おかえりなさいませッ!」
ワンテンポ遅れてしまったララも、慌ててそれに追従する。
「あら? 新しいコが入ったのかしら?」
しゃなりしゃなりとドレスの衣擦れ音を奏でながら、領主の妻は妖艶さを備えた甘い声で問う。
「はい。奴隷の娘が二名ほど加わりましてございます」
そのままの姿勢で家令が答える。
「ふぅん……」
足音が少女の近くまで近づき、そして――
「新入りのアナタ。顔を見せてくれるかしら?」
ピタリと足を止めてそう告げるのだった。
「え、えっと……」
顔を上げていいのもなのか迷うララに、
「顔をお上げなさい」
家令が小声でうながす。
それに従い顔を上げると、
「まあ、ずいぶんとカワイらしい奴隷ですこと」
奥方は少し驚いたように感嘆の声を上げた。
「名前は何とおっしゃいます?」
「わたくしは――」
「ララでございます」
代わりに答えたのは家令だった。
「ララさん、ですか。しっかりと務めを果たしてくださいね」
奥方はそう言って踵を返すと、階段を登り二階へと上がって行った。
――ララ……? どこかで見たような気がするのですが……
先ほどの少女のことが何となく引っかかる奥方は、そんなことを考えながら記憶をたどってみたが、結局その時は思い出すことは出来なかった。
「ねぇ、ララ。水、少し飲みすぎじゃないか?」
ある日、食事時に水を何杯もがぶ飲みする少女を見てミレーヌが心配そうに訊ねる。
「それに、最初はあんなにマズいって文句言ってたスープも一滴残らず飲み干してるし」
「そうなんですの。わたくし、最近無性に喉が渇いてしまってついつい飲みすぎてしまうのです」
「まあ、疲れてるのかもねぇ。最近少し暑くなってきたし」
「そう……ですわね」
そう言ってララは残りの水を飲み干す。
――おかしいですわ……
しかし、どれほど水分を摂取しても、その喉の渇きはまったく治まることはなかった。
その日の深夜――
「異常無し」
警護の兵士が提灯を片手に館内を巡回している。
すでにここの住人はすべて寝静まっており、暗闇と静寂が支配する暗澹の世界が広がっている。
「次は厨房か」
そうつぶやき厨房の方に灯りを向ける。
たくさんの調理器具が片付けられ、いくらかの食材が木箱の中に収まっている。きっと明日の朝にはこれらのものを使って料理が振る舞われるのだろうか
「明日の食事も楽しみだな」
食べることが何よりの娯楽である彼は、その未来を想像して胸を膨らませるのだった。
「と、ここも異常な――」
そして踵を返そうとしたその刹那だった。
ぴちゃり――
何かが滴るような水音が厨房の奥の方から発せられ、兵士の足はピタリと停止する。
「な、何か漏れてる……のか?」
ゆっくりと音が聞こえた方へと歩み出し、提灯をそちらにかざすと、ぼうっと人の足のような輪郭が浮かび上がる。
「だ、誰かいるのか!?」
恐る恐る灯りを上の方へ移動させてゆく。
「なっ!?」
兵士は仰天した。
厨房の最奥で金色の髪の少女が背中を向けたまま一心不乱に何かにむさぼりついていたのだ。
そして、咀嚼音がピタリと止まり、少女がゆっくり振り返る。
「だ……踊る屍者だ―――――ッッッ!!!」
口の周りにべっとりと血をまとったその少女の姿を見て兵士はぞわりと震え上がり、そう絶叫したのだった。
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「手すりなどを拭く時はこちらの布。陶器を拭く時はこちらの荒目布。|真鍮《しんちゅう》製の物を拭く時はこちらの専用クロス。もう何度も説明したはずです」
「そんないっぺんには覚えきれませんわ! 全部同じもので拭いてしまえばよろしいのではなくて?」
「それぞれの用途に合わせて使わなければならないのです!!」
その少女――ララの不満は、中年女性の一喝によってねじ伏せられてしまう。
「ううう……。たかが掃除と侮ってましたが、まさかこんなに大変だなんて思いもよりませんでしたわ」
「当たり前です! 何を成すにしても容易に終えられる仕事など存在しません。もしも苦労も疲労も無い仕事があったとしたら、それはその者が何も成していないだけです」
「き、肝に|銘《めい》じますわ……」
ウンザリとした顔で、ララは仕事を再開する。
館の雑務全般を担う家令の女性と少女のやり取りはもはや日常茶飯事となっており、他の者たちはもう気にすることもなく作業に没頭している。
「ララさん。アナタほど家令である私に食ってかかってくる者はおりませんでしたよ」
「こんな手のかかる奴隷でまったく申し訳ないですわね」
「いいえ、やりがいが増えてとてもよろこばしいことです」
「え?」
ララは皮肉で言ったのだが、家令は笑ってそう答えるのだった。
「はぁ……今日も疲れましたわ……」
夜遅くになってすべての作業が終了し、ララたち|女中《メイド》はようやく食事にありついた。
「ハハハ、今日もこってりしぼられてたね」
向かいの席に腰掛けるミレーヌが笑う。
「ホントにあの家令は、仕事熱心なのはわかりますが、融通が利かなすぎですわ」
「いやぁ、アタシは何となく家令の方に同情しちまうけどね」
かつてララのワガママに振り回されたことのある彼女は、苦笑を禁じ得なかった。
「朝早くに起こされて、ほぼ休みなくこんな遅くまで働かされ、寝床は|茣蓙《ござ》を敷いただけの硬い床の上で雑魚寝……。それに、食事も不味い上にこれっぽっちだし……。奴隷がこれほどきびしいものだとは知りませんでしたわ」
小さなパンがひとつと少量の干し肉。そして、ほぼ味を感じない野菜のスープを食しながら、ララは|辟易《へきえき》とした口調で愚痴をもらす。
「まあ、これが普通さ。場所によってはもっとヒドい待遇を強いられているらしいからね」
「|女将《おかみ》さんがいかに人道的だったか、身に染みてわかりましたわ……」
「もう|女将《おかみ》じゃないけどね」
そう言ってけらけらと笑う。
「……ごめんなさい」
不意に顔を曇らせてララがポツリとこぼす。
「急にどうしたんだい?」
「わたくしが|女将《おかみ》さんの制止を聞かなかったばかりに、こんなことになってしまって……」
この間の事件のことを思い出し、沈痛の面持ちで謝意を述べる。
あれから――
ララたちが領主の子息であるエリクを殺害した容疑で捕縛された後、二人は簡易的な尋問を受けた。
そこでありのままを話したが、いくら弁明したところで相手は権力者だ。下級貴族の子息が被害者とはいえ、身分の低い彼女たちは当然縛り首に処されるのが通例であった。
しかし、二人は奴隷として領主に仕えることで許されたのだ。
寛大とも言える裁きの裏には、エリクが領主でも制御出来ない腫れ物的な存在であったことが大きく作用しているようであったが、いずれにしても二人は極刑を免れたのだった。
「まだ気にしてたのかい? まあ、ムリもないけどさ……」
ミレーヌは陰気に沈む少女の手をそっと握り、
「ララ。たしかにあの時は不幸な結果になっちまった。アンタが思い悩むのも仕方がないと思う。だけどね、少なくともアタシは感謝してる。何も出来なくてただ我慢してればイイなんて言って、ホントはすべてを諦めてたアタシに勇気を与えてくれたんだから」
慈愛の瞳でそう告げる。
「|女将《おかみ》さん……。ありがとうございます」
「だから、アタシはもう|女将《おかみ》じゃないって」
「いいえ、わたくしにとっては|女将《おかみ》さんはどこに行っても|女将《おかみ》さんですわ」
ララは温もりを与えてくれた手を握り返し、そう伝えるのだった。
「またアナタですか、ララさん」
翌日――
やはりララは慣れない作業に苦戦し、失敗していた。
「いいえ、わたくしはララという名前では――」
「言い訳は無用です」
家令は少女の言葉を遮り、
「ベッドメイクの度にシーツをしわくちゃにされてしまっては本末転倒です。もう一度別室で練習し直してください」
静かだが威厳のある声で諭す。
「言い訳なんかではありませんのに……」
「何か言いましたか?」
「いいえ、何でもありませんわッ!」
ララは不貞腐れて叫んだ。
と、その時だった――
「奥方様がお戻りです!!」
玄関先の清掃をしていた|女中《メイド》が大きな声で告げる。
すると、今まで作業に没頭していた館のすべての者が駆け出し、廊下の両端に列を成して立ち並ぶ。
「一体何ですの?」
「奥方様が帰られたのです。さあ、アナタも並んでお迎えするのです」
家令の言葉を受けて、ララも列に加わり直立する。
そして館の中にひとりの女性が従者と共に入って来ると、
「「「おかえりなさいませッ!!」」」
家令たちは一斉に腰をこごめて合奏のように挨拶を向ける。
「あ、あら? ……お、おかえりなさいませッ!」
ワンテンポ遅れてしまったララも、慌ててそれに追従する。
「あら? 新しいコが入ったのかしら?」
しゃなりしゃなりとドレスの衣擦れ音を奏でながら、領主の妻は妖艶さを備えた甘い声で問う。
「はい。奴隷の娘が二名ほど加わりましてございます」
そのままの姿勢で家令が答える。
「ふぅん……」
足音が少女の近くまで近づき、そして――
「新入りのアナタ。顔を見せてくれるかしら?」
ピタリと足を止めてそう告げるのだった。
「え、えっと……」
顔を上げていいのもなのか迷うララに、
「顔をお上げなさい」
家令が小声でうながす。
それに従い顔を上げると、
「まあ、ずいぶんとカワイらしい奴隷ですこと」
奥方は少し驚いたように感嘆の声を上げた。
「名前は何とおっしゃいます?」
「わたくしは――」
「ララでございます」
代わりに答えたのは家令だった。
「ララさん、ですか。しっかりと務めを果たしてくださいね」
奥方はそう言って|踵《きびす》を返すと、階段を登り二階へと上がって行った。
――ララ……? どこかで見たような気がするのですが……
先ほどの少女のことが何となく引っかかる奥方は、そんなことを考えながら記憶をたどってみたが、結局その時は思い出すことは出来なかった。
「ねぇ、ララ。水、少し飲みすぎじゃないか?」
ある日、食事時に水を何杯もがぶ飲みする少女を見てミレーヌが心配そうに|訊《たず》ねる。
「それに、最初はあんなにマズいって文句言ってたスープも一滴残らず飲み干してるし」
「そうなんですの。わたくし、最近無性に喉が渇いてしまってついつい飲みすぎてしまうのです」
「まあ、疲れてるのかもねぇ。最近少し暑くなってきたし」
「そう……ですわね」
そう言ってララは残りの水を飲み干す。
――おかしいですわ……
しかし、どれほど水分を摂取しても、その喉の渇きはまったく治まることはなかった。
その日の深夜――
「異常無し」
警護の兵士が|提灯《ランタン》を片手に館内を巡回している。
すでにここの住人はすべて寝静まっており、暗闇と静寂が支配する|暗澹《あんたん》の世界が広がっている。
「次は厨房か」
そうつぶやき厨房の方に灯りを向ける。
たくさんの調理器具が片付けられ、いくらかの食材が木箱の中に収まっている。きっと明日の朝にはこれらのものを使って料理が振る舞われるのだろうか
「明日の食事も楽しみだな」
食べることが何よりの娯楽である彼は、その未来を想像して胸を膨らませるのだった。
「と、ここも異常な――」
そして|踵《きびす》を返そうとしたその刹那だった。
ぴちゃり――
何かが滴るような水音が厨房の奥の方から発せられ、兵士の足はピタリと停止する。
「な、何か漏れてる……のか?」
ゆっくりと音が聞こえた方へと歩み出し、|提灯《ランタン》をそちらにかざすと、ぼうっと人の足のような輪郭が浮かび上がる。
「だ、誰かいるのか!?」
恐る恐る灯りを上の方へ移動させてゆく。
「なっ!?」
兵士は仰天した。
厨房の最奥で|金色《ブロンド》の髪の少女が背中を向けたまま一心不乱に何かにむさぼりついていたのだ。
そして、咀嚼音がピタリと止まり、少女がゆっくり振り返る。
「だ……|踊る屍者《ダンス・マカブル》だ―――――ッッッ!!!」
口の周りにべっとりと血をまとったその少女の姿を見て兵士はぞわりと震え上がり、そう絶叫したのだった。